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 不思議便所の穴

皆様、こんにちは。
サッカーワールドカップ日本代表、決勝トーナメント進出おめでとうございます。

せんちょさんと対戦チームにどうしょうもないギャグをこませたからでしょうか。
せんちょさんのギャグの威力おみそれしやした!なーつて。

さて、本日は、いよいよプロフィールに書いてあるワタスの生まれる直前の記憶のことについて書きたいと思います。
今回もぶっ飛ぶかもしれないけどゴメンナサ~イ!

それでは本編のはじまりはじまり~。


この話をするのに前々から書き物やブログのようなものではならないと思っておりました。
なぜなら、こんな話を人前でしようものなら絶対基地外扱いは免れないでしょうし、以後付き合ってもくれないでしょう。
ここに来ておられる皆様は少しは基地外慣れしていらっしゃる(笑)と思いますので安心してこの話を書いてみようと思います。
乱文でお見苦しい点申し訳ありませんが最後までどうぞお付き合いくださいまし。


ワタスの生まれる直前の記憶、そして生まれた後の始まりの記憶、
どちらにも関係しているのは当時住んでいた家のお便所なのです。

その当時、ワタスの家は小さな古い家を借りておりまして1階8畳と台所と便所しかありませんでした。
(子供が生まれた後、大家さんが二階を作ってくれたのでした)
その便所は和式で床も扉も木製。しかも扉は左右にスライドさせるようになっており、
鍵は扉の真ん中に組まれた穴の開いた木と木を組み合わせるカラクリ方式になっていました。
鍵を開けるとその穴が解放され外が見えるようになっております。
床は木目がくっきりとわかり、しゃがんで大きいのをやっておりますと自然とこの木目に目がいき、
なんとも不思議に癒されました。(笑)

ワタスは小さい頃、この狭い和式便所が大好きでした。
なんというかこの狭い空間の中は完成された宇宙のように感じたのです。
それは茶道に通じるものだったのかもしれません。記憶がおぼろげになっている今でもそう思います。
その狭い空間の中で小さい頃のワタスは、驚くことに潜在意識のワタスを自在に呼び出すことができたのです。
そして潜在意識のワタスは、床の木目の意味を簡単に読み取ることができました。

床の木目に意味なんてありゃせん、この人絶対おかしい...そう思われるかもしれません。
しかし、あの便所の木目には、なんと世界の歴史というものが書かれてありましたし、世界の未来もまた書かれてあったのです。
じゃあ世界の未来はどんなんか?といわれると申し訳ないのですがよく覚えていません。
こんなことを言うとこれはまったくのワタスの妄想で、夢でもみてたんじゃないのと叱られそうですが...。まあ普通の人なら当然です。
でも、ワタスにはそういう記憶が存在したという記憶だけはしっかりとあるのです。(ややこしくてすんません)

その木目を読める時は、潜在意識と繋がったワタスでなければ解読できません。
ある意味、ヒーラー状態なのでしょう。(これをリーディングというのだろうか)

インドに"アガスティアの葉"という個人個人の運命が記されている葉があり、
特別な施設にその葉は保管されているといいます。
その葉の内容が読める人は現地のヒーラー(ナディ・リーダーという)だそうですが、
その"アガスティアの葉"のことを知ったとき、過去のそういう自分の経験から別段驚きもしませんでした。
世の中には自然界にあるいろいろなものから過去や未来を知る人は大勢いるのだと自分の経験からそう思ったのでした。

agasuthia.gif

アガスティアの葉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%91%89

その潜在意識と繋がったワタスは、あることに気がついたのです。
木目の意味がわからない時に自分が勝手に解釈することがなんと現実になってしまう時がある..と。
木目の正確さは驚異的でそれは細かく書かれておりました。
しかし、どうしてもその解釈に迷う部分があると自分が勝手に解釈するときがありました。
数日後、その解釈を裏付けるようなニュースがなんと本当にテレビでやっているのです。
これにはさすがに解釈した本人もビックリしました。

こ、これってやばいこと?いけないこと?

とても気持ち悪くなり、こんなことをやっていると絶対罰があたる..木目を読むのは今日で止めにしよう...とワケもわからず自分を戒めたのでした。
(なんともったいない)

そんな不思議な空間だった便所のことをワタスは"不思議便所"と呼んでいました。
その不思議便所に空いている小さな穴
そこを通ってワタスはこの世界にやってきました。
このを通った時、ワタスは一人ではありませんでした。
傍に一緒にいてくれた存在がいたのです。それは生まれてこなかったワタスの兄でした。

ワタスは、姉とワタスの二人姉弟なのですが、姉とワタスの間にはもう一人の子供がいたことを母の口から聞く前に既に知っていたのです。
ワタスの両親は当時かなり貧乏をしていて子供など育てられる状態ではありませんでした。
母が子供(兄)を身ごもった時に父の姉であるワタスの叔母が母に降ろすことを勧め、強引に母の手を引っ張っていって流産させたのです。
叔母は、父母達の計画性のなさに呆れて黙ってみていられなかったのでしょう。
しかし、子供を降ろしたことを知った父は半狂乱になって怒りました。
意地でも子供が欲しい..。そんな思いもあって1年後、母はワタスを身ごもりました。
叔母は再度母に流産を勧めます。
しかし、父は叔母にもうこれ以上口出ししないでくれと強く言いました。

そして梅雨明けも程近い夏のある日、産婆さんの手によってこの8畳一間の小さな家でワタスは生まれたのです。

もし、兄が生まれていたらワタスは生まれていたかどうかわかりません。
でも、兄のおかげでワタスはこの世に出でることができた。そう思っています。
兄には本当に感謝しているのです。

ワタスが生まれた後、ワタスの記憶が始まったのは、あの不思議便所でうんちをした後に母にケツを拭かれている時からです。
そこには隣の大家の婆さんが一緒にいてなにやら母と話している記憶が残っています。
ワタスの兄は、それ以後、今度は爺さんに形を変え幼少のワタスの導き役となっていたのでした。

幼少のワタスは、なにか困った時、いつもその爺さんに聞いておりました。
心の中で問いを発すると自然とその爺さんが出てきていろいろ教えてくれるのです。
はたから観ていると何処を見ているのかわからないなにやら不思議な子にみえたのかもしれません。
ニール・ドナルド ウォルシュの「神との対話」の一人二役で神様と対話しているような感じです。

kamitonotaiwa.gif

神との対話―宇宙をみつける自分をみつける
(サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)
ニール・ドナルド ウォルシュ (著),

爺さんは、中立な立場でワタスにいろいろ教えてくれました。
ワタスに片寄らず、しかし小さなワタスの目から観る世界をとても大切にしてくれました。

ある日、その爺さんとなにやら話しをしていると、
ある鮮明な映像がフラッシュバックのように脳裏に再現されたのです。
映像のことを話すとそれは"生まれる直前の記憶"だと爺さんは言いました。
そして生まれる直前まで一緒にいた存在は、生まれてくるはずだったお前の兄だと教えてくれたのです。

なぜ兄さんとわかるの?
ワタスは爺さんに聞いてみました。

爺さんはしばらく黙ったままでしたが、意を決したようにこう言いました。

「それは私だからさ。私がお前の兄なのじゃよ..。」

その夜を境に爺さんはワタスのところに降りてこなくなりました。
それと引換えに鮮明な映像は中学になるまで時折ワタスの脳裏にフラッシュバックするようになったのです。

不思議なことへの興味はワタスを引き付けるようになりました。
不思議世界のその先に兄がいるようなそんな気がしているのです。

そう、ワタスの旅は、兄と自分に会う旅なのかもしれません...。


#ワタスの生まれる直前の記憶...。
(※子供の頃は鮮明な記憶でしたが大人になると次第に記憶がボケてしまって、少々断片的になっているのでご了承ください)

2001: A Space Odyssey - Original Trailer #1
http://youtu.be/N6ywMnbef6Y



狭い狭いトンネルの中をワタスと兄が通っていきます。
二人とも気体のような存在で、意識体なのでしょう。
その意識体が高速でカラフルな色のトンネルの中を通過して行きます。
ちょうど映画「2001年宇宙の旅」の主人公ボウマンのように。


ずっと向こうに開けた外の世界が見えます。
どんどん外の世界が近くなってくる。
ワタスと兄はなにやら話しながらそのに向かって加速していきます。

人がいるのが見えます。あれが母親となるべき人か。産婆さんもいます。
お手伝いの人達が数人います。

兄:「いよいよだね。」

ワタス:「うん」

兄:「○○は、大丈夫かい?」(この○○が何であるかいまだによくわかっていない。)

ワタス:「まあやってみるさ。」

を抜けてふわふわと天井付近で一旦停止。
下を見下ろすとまさに修羅場のお産風景が広がっている。

くるくると回転し、光の柱が差したその瞬間!

記憶はここで終わっています。


kokia - かわらないこと~since1976~ ( 16:9 ) HQ
http://youtu.be/XmvPW_PgTUg


言葉では伝えきれない..。
だからこそ頑張れるよ...。

全ての存在よ、ありがとう。


ご精読ありがとうございました。
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 『日本の思想』から学ぶとんでも社会論

皆様ご機嫌いかがでしょうか。

サッカーワールドカップ南アフリカ大会、昨日は休日ということもあり、大いに盛り上がりましたね。
しかし残念!オランダに負けてしまいました。
う~ん、悔しいっすねえ~。
でも日本は最後まで善戦してましたね。ホントに拍手です。
一人一人が考えて走るサッカーをしてました。
スタイルの違いこそあれ、あの戦い方(ハート)こそオシム前日本監督も目指していたサッカーではなかったでしょうか。
(さぞ日本の敗戦を惜しん(オシム)だことでしょう..な~んつて)
あとは習熟度(時間)の問題だけかもしれません。
残りのデンマーク戦、悔いの残らない戦い方をして欲しいです。(期待してまする)

さて、前回、おちんさんのコメントより「日本人は今後、どんな方向に、日本を運べば救われるのか」マティックスの意見を書いてちょんまげというリクエストがございますた。
あれからいろいろ考えてみまして今回この記事にて意見を述べさせていただくことにいたします。
乱文で読みづらい点、誠に申し訳ありませんが最後までお付き合いくださりませ。

それでは本編のはじまりはじまり~。


ワタスが最も影響された人物の一人として真っ先に上げるのが「丸山眞男」という政治学者です。

maruyama.jpg

丸山眞男(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7

それは、高校の倫理社会の授業での研究発表テーマが「丸山眞男」ということが出発点だったのですが、著書である『日本の思想』の中に書かれてあることは50年近く経った今でも十分通用する考え方ですし、日本の思想学や哲学においてこの人の果たした功績は非常に大きいと思っております。
ただ、今あらためて『日本の思想』を読みますとう~ん、ちょっと違うかも..という箇所も当然チラホラありますが、しかし、この人程日本人の長所と短所を表した人物は今まで(最近においても)いないと思います。

丸山眞男について端的にイメージを表現した文章がAmazonの「日本の思想」カスタマーレビューにありました。
ちと載せてみましょう。

日本の思想 (岩波新書)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E7%9C%9F%E7%94%B7/dp/400412039X

「丸山真男は全然「古くない」、そしてそれは「不幸」なことである。」 2004/9/4
By kurubushi "読書猿" (京都)
--転載はじめ-------------------------------------------------------------------

困ったことに、丸山真男はいま読んでもぜんぜん「古くない」。
これは丸山真男のもちろん「エライ」あるいは「正しい」ところだが、「不幸」あるいは「無益」なところでもある。
 
丸山真男は「日本(の知識)人はバカだ。そのバカのパターンはこれとこれとこれだ」というのを、
実にわかりやすく書いたのだが(もちろん彼はそういうバカはもうやめにしようとして書いたのだ)、
いろんな人が、つまり日本の知識人たちは、「バカとはなんだ、バカとは」と、
この丸山真男をいろいろと批判した。もちろん、「当たってる」ことを「わかりやすく」書いたので、
随分と賛同者やファンやエピゴーネンも現れた。
 

「不幸」あるいは「無益」というのは、丸山真男がそう言ったのはずっと昔のことなのに
(この新書は1961年に出てる。しかも丸山真男が直接扱ってるのは日本の戦前の思想家たちである)、
あいかわらず日本(の知識)人はバカだからである。しかも、その「バカのパターン」は、
あいかわらず丸山真男が『日本の思想』に書いたもので出尽くしてる。
だからこの本は、「日本の思想」と名乗る権利が(今でも)あるのである。
 
丸山真男が書いたのは未だに「当たっている」。
けれど逆に言えばそれは、せっかく(人に恨まれるくらい本当のことを)書いたのに、
何の役にも立たなかったということでもある。
 

丸山真男に向けられたたくさんの反論も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していた。
それどころか、丸山真男に向けられたたくさんの賛同も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していたのである。

--転載おわり ---------------------------------------------------------------------

なかなか辛口の評価、丸山眞男が生きていたらきっと称賛を送っていたと思いまする。

「民主主義というのは、人民が本来制度の自己目的化-物神化-を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです」
-『日本の思想』「である」ことと「する」ことより抜粋 -


それでは、現代でも通用するという丸山眞男の考え方について簡単に触れてみましょう。
日本における研究の歴史からみますとたとえば日本史というものについてはよく研究され文献も残っておりますが、ことに「日本の思想」史というものについてはほとんど研究されてこなかったと丸山眞男は指摘します。
それは、"日本の思想"自体が他国とは少々異なる性質によるものだからということなのですが、その"日本の思想"の中に、そしてまた"研究されてこなかった事"の中にも日本人が抱えている危険性が存在しているようです。

江戸時代の開国を境に西洋文化とともに外来思想がどっと日本に雪崩れ込んできます。明治維新となり、当然、日本の伝統思想と外から入ってきた外来思想との間に衝突が起こったのかと申しますとなんとこれが起こらず双方が融合してしまいました。
なぜかというとそれまでの日本の伝統思想である"日本神道"の性質としてヤオヨロズの神に代表されるようにいろいろな神様なり思想が存在しているという雑居性とおのおのの存在を認め全てを融合し包み込む抱護性とを兼ね備えていたからです。
これはこれで素晴らしい思想である(丸山眞男は神道があまり好きではないらしいが)とワタスは思うのですが、実はここに一つの落とし穴が生まれます。

それは、いろいろな神様や思想が存在し、外から入ってくる思想とも融合をはかれる素晴らしい考え方ではありますが、それゆえに"軸になるものが存在しない"のです。
共通軸が存在しないため、論議するにも論議にならず、それぞれが個別の範囲を形成し、村的で閉鎖された世界を構築していく..これを丸山眞男は"タコツボ型文化"と言っています。
これに対して共通軸上での議論を展開し、竹のササラのように考え方が枝別れしていく世界を"ササラ型文化"と言います。

タコツボ型文化においては、それぞれの存在は認めながらもタコツボとタコツボとの間には何の共通項目もコミュニケーションもない閉鎖状態なのですが、統制という意味においてはこれほど操作しやすい環境はありません。
ただ一つのイメージなりシンボルを上からそれぞれのタコツボに流すことによって全てのタコツボの統制をとることが可能となります。
なぜなら、タコツボ内においての個人には一つのタコツボとしての主義の下におかれ、そのタコツボを壊すような思想や行動が全くできない状況に追いやられるからです。
そのタコツボの中での個人は無限責任を負わされる・・・これが戦前の日本の体制であったといいます。
このような状況を"国体"というシンボルを利用し、うまく政治に取り込んだのが明治維新以降の改革であり、戦前の日本の軍国主義でありました。

国体
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BD%93

この日本の軍国主義に見られるように強大な権力を持つ組織においては、それを統制する側は馴れ合い状態の無責任体質が生まれやすく、それは戦後65年経った現在もなお、企業の体質とか政治の問題等のベースを形成していると丸山眞男は言います。
例えば少し前にあった厚生労働省のリゾート施設問題、あれ一体どうなったのでしょうね。結局、二束三文で民間へ引き渡しで終了ですか?
ワタスは、あれを作ろうと決めた当時の政治家、官僚、企業関係者全ての人の財産を没収したいです..な~つて。

丸山眞男の考え方によると日本の国というのは、タコツボ型文化になりやすく、それは統制しやすい状況を作りやすい..。これはある意味、全体主義(ファシズム)を生み出しやすいといえます。
ウンコ星人陣営でも日本人のこの性質はよく把握しておるんでしょうね。
戦前が"国体"というシンボルを利用したのに対し、戦後はマスコミという媒体を使って"一般人"には考えることをさせない意識統制の戦略を打っています。
3S(スクリーン、スポーツ、セックス)と仕事漬けで考える時間を奪い、マスコミを通じて意識を同調させる...。いつしか民主主義ではあるけれど自由のない全体主義が生まれていく..その危険性が存在することを65年も前に丸山眞男は警鐘しています。

では、一体どうすればタコツボ型文化を脱することができるのか。
タコツボ型文化の特徴は、「○○主義である」という「である」という固定的概念の中に意識が埋没してしまうことにあります。
これは例えば会社や業界、派閥、主義主張やレッテルなどにどっぷりと浸かりこみ、その中においては主体的に物事を考え行動することをしなくなります。
知らないうちに、いわゆるロボット化状態が出来上がるのです。
丸山眞男はこのような状態を打破するには「する」という考え方に切り替える必要があると言っています。
である」が受動的であるのに対し、「する」が能動的かつ主体的であります。
○○主義」にいたとしても「○○主義」を分析し批判し、主義を飛び越えて主体的に行動を起こすことができれば、タコツボに穴があいてササラ型となり得るのではないだろうか。ワタスはそう考えています。

と、ここまでが丸山眞男のおおよその考え方です。
その"「する」こと"という主体的な行動をするのにはさらにどうすればいいのかここからはワタスの考え方を少し述べさせていただきます。

する」という主体的な考え方をする人を増やすためには、
まず、現在の教育制度を壊して全く新しいものに変える必要があります。
今の教育では、ただ受動的な「である」タイプのタコツボ型人間が増えて行きます。
それはお金主義や権威主義をベースにした企業や組織への人材供給を目的にしているからです。

もし、そうではなく、最終目的として自分で物事を考え自分で決めていく「する」型自主的自立型人間を増やすにはどうすればいいか。
それには現在の学校教育を一度全く無地の状態に戻し、新しいタイプの教育制度を構築することが必要です。
これは学校教育だけではなく、全ての人の教育。
親、先生、経営者、社員、政治家、爺さん婆さん、父ちゃん母ちゃんなどなど。
今までの学校っていう閉じられたタコツボを全ての人に解放したらどうでしょう。
今までのようにただ学校に行って受動的な授業を受ける必要は全くなく、授業自体も全く新しく自分でカリキュラムを作るような。
そして同じ年代だけのクラスではなく、たとえば小学1年生の授業を爺ちゃんや婆ちゃんと一緒に受けられるような、また自分の得意分野は自分が先生になるようなそんな教育制度をみんなでワイワイ作ったらきっと楽しみながら日本の人材教育ができるのではと思います。
人の教育を学校だけに押し付けるのは限界にきています。人の教育は社会全体で皆が関わるようなそんな制度を作ったら今起こっている様々な歪みや問題も解決に向かうのではなかろうかと考えるのであります。


玉蔵さんの最近の記事でいよいよ資本主義崩壊やら天変地異がやってくると書いており、まあワタスもそれなりに心構えだけはしておるのですが..。
現在の日本や世界の状況を見ると資本主義崩壊やむなしと思ってしまいがちになります。
ここまで行き過ぎた社会は一度崩壊をみて一から作り直したほうがいいのかもと本気で思うことがありました。
いや既にこのブログをお読みになっている皆様の中にもそのような考えの方は沢山いらっしゃると思いますが、来なかったらどうしましょうねえ。
いや、来なければ来ないでいいじゃないかってまあそうなんですが..。

来ても来なくても私達の心構えを作っていく必要があるのではなかろうか。
そんな気持ちもあって今回の記事を書いております。

最近、ある考えというか思いがふと胸に浮かんで来るときがあります。
それは、私達がこの地球に生まれ出るときの目的です。
なぜ輪廻転生があるのか?
愛を知る為、学ぶためと答える方が多いと思います。
それもあると思うのですが、
ワタスは、一人一人が実は星になるであろう魂であり、将来地球のような星になるための修行をしているのかもと思うときがあります。(妄想かもしれませんが..)
地球は様々な生き物を創造し、愛に溢れた生態系を作ります。
我々の魂は人間を経験しながら創造という"遊び"を学んで行きます。
将来、ワタス自身が地球と同じような星となり、様々な命の源となれるように。

それには自分で物事を考え決めていく「する」型の考え方が必要なのではないだろうか。そんなことをふと思ったりしています。
そして日本という国に生まれた意味も出会ってきた考え方も端に偶然ではなく、そこには深い意味があるのであろうと考えております。
全ては自分自身の自立の為に。


サッカー日本代表が4年前と変わったところ、それは一人一人が考えてサッカーをするようになったこと。
日本人は今後、どんな方向に、日本を運べば救われるのか
たぶんその方向に持っていけば日本は新しく変われるのではないだろうかとワタスは考えます。
(自分への批判精神から学ぶことも忘れずに..ね)


ご精読ありがとうございました。
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 星まつり、星あそび

皆様、こんにちは。
サッカーワールドカップが昨日から南アフリカで開催されましたね。
いや~サッカー好きな私としてはとてもうれしい週間になりそうでっす。
「サッカーの祭り」を素直に楽しみた~い!


さて、本日は、"お祭り"ということや"遊ぶ"ということについてちょこっと書いてみたいと思います。

本日は、バックミュージックを用意致しました。是非聞きながら読んでくださいまし。
モーツァルト/きらきら星変奏曲/演奏:泉 ゆりの
http://www.youtube.com/watch?v=VI8tkZSgaAE&feature=related



東京では江戸3大祭りが終わっていよいよ来週から梅雨に入りそうですが、
梅雨の合間の良く晴れた日があれば、夏の星空をのんびり眺めるのもなかなかいいもんではありませんか。
夏は空からやってきますよ。

ndsk.gif

♪あれが デネブ アルタイル ベガ
君は指差す夏の大三角~

夏の大三角は、ベガ、アルタイル、デネブをつないだ三角形をいいます。七夕の織姫がベガ、彦星がアルタイル。天の川を挟んでお互いの姿を見つめ合う様に輝いております。
夏至(今年は6/21(月))頃から見えてくるようです。
-------------------------------------------------------------------
こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。
夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。
このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、
天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。
しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。
星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。
催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている

---「七夕」Wikipediaより-------------------------------------------

今年は逢えるんでしょうかねえ、それとも催涙雨か。な~んてことを考えながら星空を見上げてみます。

七夕』の起源は、お盆に中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や
佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられているとWikipediaさんは申しておりますが、
そもそも"日本のお盆"って日本古来の豊作を祖霊に祈る""なのだそうです。
そこに仏教やら儒教の思想が交じり合って入って現在のようなお盆の形になったそうな。

そういえば、3月叔母の葬儀で東北に行った時、お寺に鳥居があったのを思い出しました。
地方に行くと神仏一体なのだなあと思ったのでした。

この"お盆"というのは、菩提寺へのお墓参りというのが一般的ですが、
先祖の霊を家にお迎えして感謝し、家内の安全や仕事の成功、豊作や豊漁を祈願する行事となっております。

ちなみに地方へ行くと家総出の一大行事です。
お盆の前日には向かえ火を焚き、先祖の霊をお招きします。
家の中に祭壇を組み立てそこに畑で取れた作物や野に咲いている花々と一緒に
ナスやキュウリに割り箸を差し込んだ簡単な人形を作り飾ります。
これは、「精霊馬」(しょうりょううま)といって
お盆の期間中、先祖の霊がこれに乗ってあの世とこの世を行き来するのに使うのだそうです。
また、これに供物をのせてあの世へ持ち帰ってもらうとの願いも込められているようです。
お盆の期間に親族一同が集まり顔を合わせて馳走を食べながら語り合う。それを先祖の霊が暖かく見守る。
そんな素朴で美しい習慣が今、過疎化が進んで徐々に失われつつあるようです。
子供の頃に田舎に遊びに行って当たり前のようにあった習慣がなくなっていく...。
なんかとても残念でなんとかできないものかといつも思うのですが..。

"日本のお盆"が日本古来の豊作を祖霊に祈る""であったことは上記に記しましたが、
なぜ""なのと思うかもしれません。
そもそも""というのは、日本では八百万(ヤオヨロズ)の神々をお迎えして神様と一緒になって"遊ぶ"ということなのです。

「遊ぶ日本 神あそぶゆえ人あそぶ」高橋睦郎著より『神楽歌』抜粋
--------転載はじめ---------------------------------

本(もと)

木綿(ゆふ)作る 科の原に や
朝尋(あさたづ)ね 朝尋ね
朝尋ね や


末(すゑ)

朝尋ね 汝(まし)も神ぞ や
遊べ遊べ 遊べ遊べ
遊べ遊べ


本(もと)

朝尋ね 君も神ぞ


末(すゑ)

汝(まし)も神ぞ


本(もと)

君も神ぞ


末(すゑ)

汝(まし)も神ぞ


本(もと)

君も神ぞ や
遊べ遊べ 遊べ遊べ
遊べ遊べ


末(すゑ)

遊べ遊べ 汝(まし)も神ぞ
遊べ遊べ 遊べ遊べ
遊べ遊べ
-------- 転載おわり --------------------------------

神様をお招きして自らも神様(神様を演じる)となって一緒に"遊ぶ"。
祝詞あり、宴あり、踊りありと盛り沢山です。(うわ~楽しそうでっす(^_^)/)


「遊ぶ日本 神あそぶゆえ人あそぶ」高橋睦郎著より転載
-------- 転載はじめ---------------------------------

遊ぶ神神は維新のつい手前までは曲りなりにも生きていた。
すくなくとも形の上では、神神は遊び、人びとは神神を演じ、神神に倣うことで神神に近づこうとした。
祭りごとも、政りごとも、戦いも、駆引きも、恋も、色事も、商いも、賭けごとも、習いごとも、慰みごとも、
旅も、放浪も、学問も、詩歌文芸も神神に近づくための遊びだった。遊びこそは維新が壊すまでのこの国を動かした力だった、といってもいいのではないか。
-------- 転載おわり --------------------------------

まあ維新の頃からの話を持ち出されると私が生まれた頃には遥か昔に無くなっていることになってしまうのですが、それでも今現在よりはだいぶ神様に近かったような気もしていますよ。

人々の心は段々と神様から遠くなってしまったような、でも知識とか技術は神様に近くなっているようなそんな感じが今の状況なのでしょうか。

数ケ月前に玉蔵さんもブログの中でこんなことを語っていたことがあります。

玉蔵ブログ 2010年3月2日付記事「仕事=遊び」より転載
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-date-20100302.html
-------- 転載はじめ---------------------------------

ワタスはいつも不思議に思うことがあります。
いつも苦しんでいる人がいる一方で元気ハツラツ。
いつも楽しいことをやって生きている人もいる。

同じ人の一生なのに何でこうも違いが出るのだろう。
この違いはなんだろうということです。

いつも、何をやってもうまくいかない、いつも苦労する。
がんばって仕事をして働きづくめなのに、暮らしも一向に良くならないそういう人もいます。もう一方で、好きなことを楽しんでやっているだけなのに何故だか食って行ける。
何故だか収入も十分にある。そういう人もいます。

ワタスは最近思うのですがそういう現象も結局のところ自分で引き寄せているのではないかと思うのですた。
いつも頑張っている。たしかに頑張っているには違いないのですが、いつも眉間にしわを寄せて何か頑張っていることを体中で表現している人がいます。必死さをいつもふりまいているというか。引き寄せの法則でいうなら、そういう人は結局のところそういうのが好きだからそうしているのだと言う風に思うのです。
脱力して、ニコニコと笑って暮らしてみたらいいのにと。
肩の力を抜いて、フワフワと適当に暮らして見ては如何かと。
がばいばあちゃんのようにカハハと豪快に笑って過ごしたらどうかと思うのですた。

不安になるからこそ、努力する。勉強する。自分を鍛える。未来に備える。
しかし、何か頑張れば頑張るほど、そういう現実を引き寄せるのではないでしょうか。
不安だからこそ頑張る。頑張ってもその不安は消えない。いつまでもつきまとう。実は頑張ることが解決策ではなく、不安を捨て去ることが解決策なのではないでしょうか。

あっけらかんと、のほほんと暮らして、力を抜いて生きればそういう現実がやってくるのではないでしょうか。
バカになって生きれば、楽しみながら、笑いながら生きれるのではないでしょうか。

例えば、皆さんは働かざる者食うべからずと言います。
一生懸命仕事をする。それが美徳だと言います。
まぁ、昔から言いますが、勤勉な日本人。
それは確かに美徳ではありますが、実際、現代社会において働くとはどういうことでしょうか。

一生懸命働いて、残業して、ひいこら言いながら、何やらわけのわからない商品の提案書を書いているとか。
その商品は今度出す、ポケモン絵柄のパンティだったとか。
良く考えるとやっていることは遊びではないでしょうか。
当の本人はまじめに一生懸命、汗水たらして働いているのでしょうが、
やっていることは、資源を無駄にして、電気代を無駄にして遊んでいるだけではないか。ワタスがこのように適当に鼻毛をほじりながらブログを書くのと、残業してひいこら言いながら提案書を書くのと何の違いがありますか。
そのように思います。

例えば、新商品を生み出すといったって、ゲームソフトを作る会社だったら商品は遊びの道具です。
出版業界だって作ってる本は内容を読めば分かりますが、ほとんどが内容のない遊び本ですしキャバクラ嬢がまじめに働くといったって、要するに酒を飲んで遊んでるだけです。芸能人が仕事といくら忙しそうに立ち回ってもやっていることはお笑い番組ではないですか。
自動車メーカーだって必要もないのに、モデルチェンジを繰り返して売るのは結局のところ遊びです。携帯電話だってこれ以上機能を詰め込むと訳が分からなくなると思うのですが、一生懸命競争して新商品を出しています。液晶テレビだって、これ以上画質を良くしてどうかと思いますが。
大きな意味で言えば、遊びではないでしょうか。

現代社会において、仕事とは遊びです。
まじめにやっているのでしょうが、やっていることは必死にやるべきものとは到底思えないことをやっています。
どうせ遊びなら、ノホホンと適当に笑いながらやればよいとは思いませんか。
バカも休み休みやれ。
品質がどうの。納期がどうの。
遊びにそんなものが必要ですか。
ポケモンの絵柄が少々ずれていたって良いではないですか。
ポケモンの絵柄がずれて股間のど真ん中にあったからって不良品なのでしょうか。
黄ばみが分からなくて良いではないですか。

納期とかノルマとか。品質とか。
仕事が辛くて自殺するとか。
バカは死ななきゃなおらないと言いますが、遊びのために死んでいるのだから世話がありません。ここまでいくと真正のキチガイです。

日本人が辛い辛いと言いながら生きてるのは、結局のところそういう必死さが好きだからではないでしょうか。
やってることは遊びなのだから遊びらしく適当に楽しく暮らせば良いのでは。

玉蔵は引退して暮らす身だからそのようなことが言えるのだ。
実際問題、そんなことをしたら暮らしていけないではないか。
そういう突っ込みがあるのは分かります。
しかし、本当にそうでしょうか。

一生懸命遊ばなければ食えなくなる。

自分たちで、そんな仕組みにしてるだけではないですか。
遊びと、生活が直結しているのがそもそもおかしいのです。

ネットゲームで勝てなきゃ飢え死にする。
そんなバカな社会がありますか。
毎日一生懸命勤勉に満員電車でネットカフェまで通勤しては四六時中ネットゲームをやっている。
ワタスから言わせると、そんな異常な社会に見えます。

この世は自分達で辛くしている。
本当は、楽しくてしょうがない世の中なのに。
自分で辛くしている。

水で走る車。新エネルギー
実はもっと早く世の中に出ても良かった技術です。
おバカな人間の何かしらの圧力で出てこなかっただけです。
今、この現実を辛いものにしているのは自分達自身だ。
いつもそう思います。

バカらしい。
いち抜けた。
違う選択をする時期が来たのではないでしょうか。
そろそろ、そういうべき時が来たような気がしています。
------- 転載おわり --------------------------------

本当は全てが"遊び"の世界なのに何悲壮感漂わせてやっているんですか?
もっと力を抜いて愉快に楽しみましょうよって言っておりますね。
現代人って"遊び"の中にいながら"本当は遊んでいない"状態なのでしょう。
"楽しむ"ことこそ"遊び"の一歩。私もこれに大賛成です。
"楽しむ"ことで神様も喜ぶ、そして自らも神様になれる。
"遊ぶ"ことってそういうことなのかもしれませんね。


今年も夏至の日前後(6月20日-7月7日)にキャンドルナイトのイベントが全国各地で催されます。

100万人のキャンドルナイト でんきを消して、スローな夜を
http://www.candle-night.org/jp/
candlenight.gif


肩の力を抜いてろうそくの灯りの元、のんびりと星空を眺めて、
星の神様達と一緒に"遊ぶ"のもなかなかいいもんではありませんか...。

ご精読ありがとうございました。
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 3次元猫のパラドックスは我々を何処に導くのか?-(念と現象化編)

「ミクロの世界の力学---量子力学を、どんどん、突きつめていけば 宇宙は物質だけではなく、時間も空間もない『真空』の中で生まれたという答えに行き着きます。ミクロの世界の真空とは、何もない、空っぽの世界ではありません。そこでは常に、時間と空間、つまり『宇宙の種』が 生まれては消えている---エネルギーに満ちた世界なのです。」
(アレキサンダー・ビレンケン博士)  


「有りて無きものは無くて有るものに有らざるなりけり」(老子)

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皆様こんにちは。
週の半ばからお腹壊してトイレとお友達状態の今日この頃です。(トイレはワタスの心のともっ!ってなわけないだろ~)
(ちょっと元気のなさそうなカツオさんには気をつけようね!)

さて、3次元猫シリーズの反響が想像以上に大きくてちょっとびっくりしとります。
なんかとてもありがたいですね。皆様に本当に感謝。

ということで本日はいよいよこのシリーズの核心に入ります。
今回も一体何が飛び出すか。
本編のはじまり、はじまり~


--- ここより本編 -------------------------------------------------------

前回までのおさらいを簡単にしておきましょう。
前回、私のとんでも仮説によると
「シュレディンガーの猫」のパラドックスは私達の日常においても発生しており、
私達は無意識にそれに組み込まれているのではないだろうかということを申しました。
では、何処に?
それは”睡眠”であるということを申し上げて皆さんぶっ飛びました。(どっか~ん!)
"睡眠"という箱に「シュレディンガーの猫」と「多世界解釈」を組み入れてパラレルワールドが成り立っている。
すなわち"睡眠"という箱を通じて毎夜毎夜、睡眠後の世界へ意識のジャンプが行なわれているのではないだろうかというのが
とんでも仮説でございます。

前回のおさらいは
せんちょさんのブログを読むとよくわかります。
せんちょさんブログ「せんちょの患い」2010年5月30日記事「空と量子物理学」
http://sencho1009.blog110.fc2.com/blog-entry-38.html

そして今回、意図する方向へジャンプするにはどすればよいかその方法をご披露するということです。



と、その前に"睡眠"という面から関係してくる大変重要な事項についてちょこっと触れてみたいと思います。
"睡眠"において重要な点は、顕在意識(表面意識)と潜在意識の活動です。
人の意識は睡眠の前には顕在意識が大きくなっておりますが、睡眠に入ると潜在意識が大きくなり顕在意識は小さくなっております。
この顕在意識と潜在意識の関係というのは、男と女Ⅱ編でお話しました恋愛曲線と良く似ております。
男性の曲線を顕在意識、女性の曲線を潜在意識と置き換えるとこの形何かににてはしませんか?
う~ん、そうそう、三角関数の関数曲線でしょうか。
グラフで表してみましょう。

顕在意識と潜在意識曲線

えっ、この矢印は何ですか?ですと。
そうです。こりはもちろん、念の起動点と現象化の点だすよん。
念を起動することにより、潜在意識は一旦顕在意識とは逆に動き出すように下降にしますが、その後顕在意識を追いかけるように上昇し、顕在意識が下降に転じた少し後のところで潜在意識と結び付きます。すなわちここが現象化のポイントになるのではないかと思います。

で、これが一体何を表しているのか。この点こそ般若心経で言われる"空即是色"(くうそくぜしき)の状態ではないかと考えます。
この"空即是色"(くうそくぜしき)の状態が現象化のはじまる地点。
空即是色とは、「無であり無ではない」状態。

冒頭のビレンケン博士の言葉がとても参考になります。時間も空間もない『真空』であるが、
その『真空』では粒子があらわたり消えたりしているゆらぎの状態であると。

--- 「タイムマシンがみるみるわかる本」佐藤勝彦 著より転載-----------------

じつは量子論が明らかにした真理の一つに「本当の「無」というものは存在しない」ということがあるんですね。
たとえば、真空とは「物質が何もない空間」のことだと思っている方が多いと思います。
でも量子論は、真空はけっして「何もない」空間ではないことを明らかにしました。
真空中のいたるところで、ミクロの素粒子が突如としてボッと生まれ、次の瞬間には消えてなくなる。
ということを繰り返しているんです。
つまり真空は、完全な「無」ではなくて常に「有」との間を揺らいでいるんです。そしてそのような「無」から
「有」すなわち最初の極小宇宙が生まれたというのがビレンゲンの主張です。

----- 転載おわり ----------------------------------------------------------

この粒子があらわたり消えたりしているゆらぎの状態というのは「色即是空、空即是色」の""(くう)の状態であり、それは、「シュレディンガーの猫」の状態ではないかと仮定しますと
粒子があらわたり消えたりしているゆらぎの状態=""(くう)の状態=「シュレディンガーの猫」の状態(箱の中)="睡眠"
となり、"睡眠"=""(くう)の状態であることになります。

"睡眠"から目が覚めるときというのは、粒子があらわたり消えたりしているゆらぎの状態から
波の収縮が起こる点すなわち現象化されるパラレルワールドを選択してそれが始まる点となります。


通常私達が選択するパラレルワールドのパターンは、起きる前=A → 起きた後A”となりますが、ときにA””やA”””といった分岐もなされるようで運命グループみたいな範囲内でのジャンプは頻繁に起きているように思えます。

では、その運命グループ外へジャンプすることはできるのでしょうか。
A → B”や A → C”のようなジャンプは意図してできるものなのか。
私の経験からいうとできると言いたいのですが、
方法がいくつかあるのと個人差がやはり出てきてしまいます。
この辺をご承知して頂き、いくつかの方法をご紹介致しましょう。

パラレルワールドのジャンプは、願望実現の方法と殆ど一緒です。
ただ、行なう時間がどの方法も睡眠する1時間~30分前に行なって頂く必要があります。
そして睡眠時間は平均6~8時間程度とってください。


大きく分けると3~4種類ぐらいからからなると思います。
①瞑想による方法
②イメージングによる方法
③Tao性エネルギーによる方法
④念による方法


この4つをみて何か感じませんか?
どれも、顕在意識の時に"(くう)"になることによってイメージとかメッセージをそこへ伝えて方向づけを行なっています。
方法は違っても目的は一緒なのですね。

では①から説明していきましょう。
とその前に③につきましてはとても難しいのでここでは省略させていただきます。
通常のエッチなら私が語るまでもなく皆様よ~くご存知のことと思いますが(えっ、ホントに..)、ここでのエッチはちょっと次元が違うようですので..。
詳しくは、
「タオ・コード 老子の暗号が語りだす」千賀一生著(徳間書店 五次元文庫)
を御覧くださりませ。

では、まいります。
 
①瞑想による方法

瞑想には、いろいろなやり方があってそれぞれの方法で良いと思います。
ただ、私が以前注目していた瞑想法は少し過激な方法でした。

2003年頃に私はあるメルマガに釘付け状態でおりました。
「潜在意識を活用する超人たち」というメルマガでKENさんという方が発行しておりました。
その方は、過去にボクサーだっそうで、その時独特の瞑想法をあみ出し、試合で使っていたそうです。
追記にその時の状況を記載したメルマガの一部を転載しておきます。
試合前にフラフラになるまでトレーニングした後、頭がボーとしている時に無呼吸呼吸法をしつつイメージングする。
というちょっと過激な瞑想法です。
このメルマガに書かれていることは実は私も経験したことがあります。
「水風呂とサウナ往復してるときと、体感が、そっくりだ」と彼は語っておりますが、
私も昔、サウナと水風呂を往復した時にここに書かれている状況になりました。
周りが真っ暗になり、外の音が聞こえなくなります。で気がついたら呼吸はしていない。
でもなんだかとっても気持ちいい..しかしこのままだととても危険..ってな感じで。まあ私の場合は"迷想"だったのかもしれませんね(笑)....。
KENさんの瞑想法の注目すべきところは、潜在意識の起動法をよく知っていることです。
彼は、「潜在意識は、自分が『生命の危機』を感じたとき自動的にスイッチがオンされる。」と書いていますが、
私の見解は少し違いまして、
極限まで体を動かしそれを一気に解放することで意識の収縮と拡散が起こる。すると潜在意識のスイッチが入ると考えています。
この意識の収縮と拡散がとても大切で潜在意識のスイッチをオンにして顕在意識でありながら”(くう)”に入れる方法ではないかと思います。
ただ、瞑想法としてはちょっと通常の人向きではありませんね。
皆様は一般の瞑想法でよろしいと思います。

KENさんの記事で面白いのは、彼が試合で「あやつり人形」のように立ち回り知らないうちに勝ってしまう..これって正に顕在意識が潜在意識とスイッチして潜在意識が顕在意識をあやつっている状況にあると思います。
記事の最後に
「スポーツの試合中、こんな現象は、実はよくあることらしい・・・
僕は『それ』を、毎回わざと引っ張り出して使ってたみたいだ。
運動生理学上では、『死点』って呼ぶそうだ。」
と語っておりますが、この『死点』って高校時代の陸上の試合で経験した記憶があります。
頭の上に線が引かれている感覚がして操り人形のように走っている自分がいます。
体も呼吸も全然苦しくなく、身体に神様が降りたようなそんな感覚。
意識は寝ているようででも鋭く起きている、表面意識と潜在意識がひっくり返ったような、
そう、ふぅさんの言葉を借りると確信波動だったと思います。

ふぅさんブログ「日和見」
⑥メロンをひっくりかえすと
http://hiyorimy.blog11.fc2.com/blog-entry-16.html

②イメージングによる方法

寝る前にイメージングする方法は2chのある掲示板で有名になり、その後ヤッズ★さんのブログ「煩悩くん、フルスロットル」2007年4月22日「願望のスイッチ」
という記事で取り上げられました。記事は追記に載せておきます。
この記事にホントに驚きました。自分以外にも"睡眠"を利用してパラレルワールドを選択している人がいることを初めて知りました。
まっことびっくりしました。
イメージングの細かな方法は追記を読んで頂ければわかりますが、周波数の合わせ方や基本原理などはなかなかの経験者でないと書けない内容であると感じました。
ぜひ参考にしてくださいまし。

④念による方法
さて、いよいよ私のおこなっている方法にやってきました。
ここまで本当に長い道のりでした。(う~ん、感慨無量。って、え?、早くやれって?)
せば、私の念による方法は、
9つの工程からなります。

---- 念による方法 --------------------
0.クレンジング:反省、

1.成りたい未来をイメージする:感情を込める。音、色、状況をイメージする。

2.念の集中(インプット):念の波動砲。

3.瞑想(解放:無になる)

4.睡眠:笑顔の波動で寝る

5.起床:そうなった状態を意識し、感謝する(念押し)
例「変わった!ありがとうちょんまげ!」とか言って起きよう。

6.忘れる

7.思い出すときは:
目の裏側でイメージする。
イメージした未来の自分になったことを「許す(その選択を許す)」と心で思う(耳元でささやくイメージで。)

8.心はいつも解放しておく
-----------------------------------------
【解説】
なんかこれって実現くんの願望達成の方法に似ていない?
って思われてしまうかもしれませんが、
最終的に実現くんのものとよく似ていたというのが正直なところです。

でもまあ実現くんのステップは4つでメインはイメージングですから
ちょっと違うかなって思ったりして..。

では、解説いきます。

まず、この現実世界は自分の想念が投影した世界であるという
世界と自分は同一」的スタンスであったはずだと想像致します。

"自分と世界は一緒"この考えを繰り返し頭と心に叩き込んでください。

0.クレンジング
これは、心の垢を取り除きます。
通常の反省で良いと思いますが、心に大きな影響を与えているものがあるとすれば、
おちんさんの言うような方法で過去へ戻り、過去の記憶と一体となり調和し修正をしたほうがいいかもしれません。
またクレンジング用の音楽を聴くのも良いでしょう。

おちんさんの退行催眠療法は、
追記にも載せてあります。(前回のコメントから)

1.成りたい未来をイメージする
これは通常のイメージングと同じです。なるべく感情を込めてイメージしてみてください。

2.念の集中(インプット)
ここがこの方法のメインです。
まず、これをやっているところを絶対に誰にも見られないでください。
東に神棚があればそこで無ければお水と小さなお皿に塩を盛り臨時の祈願場所を作ります。
東を向き手を合わせます。その時に願望するイメージを短い言葉にします。(何回も唱えられるように)
目を瞑り言葉を唱えながら合わせた手をゆっくり上下に円を描くように動かします。
と同時に額(アジュナセンター)に念を集中させるようにします。
最初はゆっくりとそして次第に早くします。
唱える言葉も動きに合わせて次第に早くしていきます。
徐々に徐々に手の回転と言葉を早くし、一心になり極限に達したと感じたら合わせている手の先を額の前に持って行き額に念を集中させます。
すると音というか集中している氣が集まってくる状態が起こります。
その状態を極限まで引き伸ばしもうこれ以上はもうこれ以上はというところで一気に両手を外側に離します。念の波動砲を撃つようなイメージで。
(私はこれを念の波動砲と呼んでおります。)

CR宇宙戦艦ヤマト2 波動砲シミュレーター(転記)β2撃て
http://youtu.be/UhO9rJRoMXo


3.瞑想(解放:無になる)
念の波動砲を撃つと、どどっとに疲れて何も考えられない状態になります。そう上記のKENさんの瞑想のような状態になります。
そのままその無の状態を楽しんでください。

4.睡眠
周波数をニタッとするほうに合わせながら寝ます。(ちょっと危ない人のようですが..)
(笑顔で寝ましょう)

5.起床
願望が実現した状態を意識し、感謝しながら起きます。
例「変わった!ありがとうちょんまげ!」とか言って起きましょう。

6.忘れる
あとは時空におまかせします。

7.思い出すときは
目の裏側でイメージします。目は半開きで目の裏側でイメージし、
イメージした未来の自分になったことを「許す(その選択を許す)」と心で思います(耳元でささやくイメージで。)

8.心はいつも解放しておく
何があっても何が起こっても対応できるようなそんな心構えでいます。

以上が念による方法でした。
2の念の集中と3の瞑想(解放)が意識の収縮と拡散の状態となり潜在意識のスイッチを入れます。
願望はなるべく愛に満ちた調和のとれているものがいいでしょう。
私はこの方法を行なうことによりいくつも険悪になりそうな人間関係であったのが友好的な関係となったり、
うまい具合にその人物が転職や転勤になったりしました。
別に転職や転勤を願ったわけではありません。その人間とうまくやっていきたいと願っただけなのですが、
うまくやっていけないと潜在意識が判断するとお互いに良い方向で会わない状況となっていくらしいです。
とっても不思議です。
他にもいろいろとエピソードはあるのですが、偶然が必然というようなことが日常的に起こり、
そのようなパラレルワールドを選択するように変化するのだと思います。
つまりA → B”や A → C”は可能であると私は考えるのです。

以上で「3次元猫のパラドックスは我々を何処に導くのか?-(念と現象化編)」は終わりですが、
紹介した念の波動砲は、量子力学で言えば、”(くう)”の状態からトンネル効果で無から有を創造するビックバン的なものになるのかもしれません。その(念の波動砲)あとの瞑想は、潜在意識と繋がり、そこには既に二元論は存在せず、一元論の世界(相反するものが補い合って1つの事物や世界を形成している)が広がっている...。そんな感じがしているのです。
無でありながら無ではない""(くう)の世界の中で。

taikyokuzu-1.jpg

最後にクリシュナムルティ著「生と出会う」より「瞑想と時間のない瞬間」の中から一部抜粋してこの話を終わりにします。
---------- 転載はじめ -----------------------------------------------
質問者:瞑想とは何なのでしょう?

クリシュナムルティ:
まず、第一にそれは精神をそれが知っているあらゆるものから空っぽにすることです。
第二に、非指示的な(=方向付けられていない)、コントロールされないエネルギーです。

中略

そのときもはや精神は捜し求めていません。より高度な体験を求めたりはしておらず、
だからコントロールできないのです。
どうかその美しさを見て下さい。それはコントロールしません。
なぜなら、それは知恵のあるものだからです。
それは機能し、働いています。それゆえ、その英知のまさにその行為の中で、二元的な状態は消滅するのです。
このすべてが瞑想です。

----------- 転載おわり -----------------------------------------------

今回も長い文章、ご精読ありがとうございました。
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---- 追記記事はここから-------------
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続き⇒┌|∵|┘