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 秋の散歩道(不思議もの探し)

皆様こんにちは。
朝晩が寒くなってきた今日この頃です。
昼と夜の気温差が激しい時期ですので体調を崩すことのないようお気をつけくださいまし。

さて本日はワタスがお散歩がてらよく行く本屋さんやパワースポットなどを紹介してみようと思いまつ。
それでは、はじまりはじまり~。

「ブッククラブ回(Spiritual Bookstore)」:南青山

ワタスがたまに訪れているお勧めの本屋さんは南青山にあります。
えっ?青山ブックセンターでっかって?
いえいえ。たまにそこも通ってますが...違いまする。
銀座線青山一丁目駅より歩いて3~4分。
青山通りより1本裏道に入るととても静かで、
特に土日の休日にいくと全くといっていいほど人通りがありません。

デザインティックなお店やこじゃれた小さなレストランがぽつんぽつんとあるような通りを
歩いていくと一風変わった建築物が目に飛び込んできます。

赤いピラミッド!これが目印です。
赤いピラミッドより左側をみるとドアが開いており、地下へ降りる階段が見えます。
おそるおそる木の階段を下りるとそこはアロマの香り漂う癒しの空間。
ユークな隠れ家的本屋さん「ブッククラブ回」です。

先日、手持ちのカメラで撮ったものをポスター風にまとめてみました。
こ~んな感じでしょうか。
bookuclubekai-101.gif

この本屋さん、独自の視点で選んだ国内外約1万冊の書籍を扱っております。
スピリチュアル系の本ならここにいけば大概あると思います。
ここの本屋さん会員制をとっていて、会員になるといろいろとうれしい特典が付きます。
季刊で出されている情報誌は、ワタスいつも楽しみにしております。

ここで昔"ばけたん"を密かに起動してみたらなんと紫色すなわち
天使系の霊気が流れておりました。先日また伺った時に後継機"ばけたん2"を起動してみたところ
今度も紫色でした。とても良い氣が流れている場所のようです。

やっぱりなあ、なんか落ち着くんだよなあ...。

本屋へ行くとお腹が痛くなる(子供かっ!)ワタスが全く痛くならない数少ない本屋さんです。

ブッククラブ回
http://www.bookclubkai.jp
〒107-0062
東京都港区南青山2-7-30 B1F
TEL:03-3403-6177 Fax:03-3403-9849

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ブッククラブ回の帰りにいつも行くのが清水湯という銭湯。
shimizuyu-1.gif

そんなに広くはないのですがとても綺麗な銭湯です。
木の香りがするサウナはとても居心地がいい。
ミスト泡のお風呂は美容効果もあるとか。
おしゃれな青山でひとっ風呂浴びる..その後はやっぱビール?いやラムネでしょう。(笑)

清水湯
http://shimizuyu.jp/
東京都港区 南青山3ー12?3
Tel:03-3401-4404

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「八幡書店(古神道系書籍専門書店)」:目黒

先日目黒の八幡書店へ行ったらなくなっていたので驚きました。
はて、移転でもしたのかなあ??
帰ってきてWebサイトをみたら同じ通りの奥の方へ引越ししたとのことだったので
な~んだ行く前にサイトを見ておけばよかったと悔やみました。

ここの本屋さんとても怪しい(笑)本ばっかり置いています。
しかも古神道系の本の専門書店。もちろんここ版元(出版社)でもあります。

五岳真形図
http://www.owarino.jp/ot/dkouza/d001/d_kouza38.htm
gotakesinkeizu-1.gif

昔、ここであの有名な霊符「五岳真形図」を購入したのですが、
その効果は?う~んう~ん微妙...。
そうだ、そういえばそれを購入してからしばらく後にあの雑貨屋オーナーさんと知り合いになったっけ。
だから効果はあるのかも...ね。(笑)

八幡書店
http://www.hachiman.com/
〒108-0071
東京都港区白金台3-18-1
八百吉ビル4F
TEL:03-3442-8129 Fax:03-3444-9439

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八幡書店に行けなかったワタスはそのまま通りを歩いて都内有数といわれるパワースポット「池田山公園」に行きました。
ここは、かつて「大崎屋敷」と呼ばれた旧岡山藩池田家下屋敷跡を整備した和風庭園です。
高台にあるこの公園は、高低差を生かした池泉回遊式で、池・滝・園路を中心に自然を鑑賞できるようによく整備されておりました。

なにを隠そうこの公園、霊峰富士山から皇居(江戸)へと良い氣(これを風水では龍脈という)が流れ込む場所にあたるそうです。
ここがその到着点らしい。風水でいうところの"龍穴"にあたるそうな。
この辺が高級住宅街なのは、その恩恵に預かっているからなのでありましょうか。

最近ここはテレビやラジオなどのメディアがよく取材に来るそうです。
ワタスも実はちょっと前までここの存在を全く知りませんでした。
床屋で何気に聞いていたラジオ番組でここの話をやっていて、
「おお、こりはワタスに行けということっすかねえ」と勘違いも程ほどにやってきたのでした。

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初秋で名残り惜しそうな太陽が燦々と降り注ぐ中、
少しヒンヤリとする冷風が時折吹いて、それとなく季節が秋へ向かっているのを肌で感じながら
静寂な時間をいっときではありますが過ごすことができました。

池田山公園へ行ってきてからとても良い気に囲まれているようなそんな気がしております。
そうそうワタスの"妖気アンテナ"もとても活発化していて、
そうあの分杭峠の時のような感じです。

やっぱり妖気アンテナは龍脈パワーと何か関係があるのかもしれません。
ともあれこの公園お勧めです。

あっ、まだ蚊が出ますので行くときは防虫スプレーはしておいたほうがいいかもです。(笑)

池田山公園
東京都品川区東五反田5丁目4

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ご精読ありがとうございました。
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 黒い林檎 ~2001年、1995年 ニューヨークシティ・マラソンにて~ その4

BlackApple-1.gif

いよいよこのシリーズも完結です。
長い文章ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

もう少しですのでよろしくお願いします。

そりでは。

~ ここより本編 ~

【2001年11月】
スタートの号砲が鳴った!

優雅に「ニューヨーク・ニューヨーク」の音楽が流れる中、
スタート地点よりゆっくりと走り出した。

快晴の空の下、約2万5千人のランナー達は、
ヴェラザノ・ナローズ・ブリッジを駆け抜ける。

ホントに気持ちいい!爽快だ!
橋から見える景色は、青く青く水平線は遥か地球の裏側まで見えそうなそんな透き通った景色をプレゼントしてくれた。

ワタスはその時、これは本当に現実なんだろうかはたまた夢なんだろうか?そんなゲシュタルト崩壊っぽい感覚に見舞われた。

いや、夢ではない。ワタス自身の挑戦がはじまったのだ。6年前の忘れていたものを取り戻す挑戦が...。

ヴェラザノ・ナローズ・ブリッジを渡り終えた時、ボロボロの上着を電信柱にくくりつける場所に来た。
なんで皆ボロなんだろう。それこそが差別じゃなかろうか。
ワタスは着ていた新品のみのむしポンチョを電信柱にくくりつけた。

ボランティアの兄ちゃん「ようこそ!ニューヨークシティ・マラソンへ!今日は楽しんでね!」
ワタス「ありがとう、大いに楽しませてもらうよ」
ボランティアの兄ちゃんとハイタッチを交わし、笑顔でコースに戻った。

さあ、42.195キロのはじまりである。


【1995年11月】
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夕焼けがとても綺麗で切なかった。
足を引きずって歩きながらワタスはまだまだゴールに向かって走ってくるランナー達を見つめていた。
日本人も結構いた。

「Looking Good!」

日本でなら「ファイト!」なのであるが、こちらではこれが応援する時の掛け声である。
日本語になおすと「まだまだいけるぜ」というニュアンスらしい。
「いい顔してる。疲れたようには見えないぜ」というのが直訳的な意味のようだ。
なんか暖かくていい言葉だ。
ワタスは、走ってくるランナーに
「Looking Good!」と叫びながら歩いてホテルまで帰っていった。


【2001年11月】
アーサー・ボンブライザンパークの待機場所には、ワタスの探し人の姿はなかった。
3~4年前にここで落ち合う約束を交わした人物はどこにも見つからない。
しかし、ワタスは彼に心の底から感謝した。そして今日は彼の分まで楽しむと心に誓った。

ありがとう...スーパーくん。
君がどこにいるかわからないけど君を目標にここまでこれたよ。
ワタスは今ここにいる。今日は思いっきり楽しむつもりだ。

そう独り言をいうと、ワタスの相部屋さん(今回は二人一部屋制でした)にコースの注意事項を伝えた。

①Queensboro Bridge(25キロ)では鉄板の上は走らないように。(走るとかかと痛になりやすくなる)
②エイドステーションで止まってしまうと後がきつくなる。
③歩くのなら歩くスピードでもいいから走ったほうがいい。
④速く走るのはいいが大会も楽しもう。

ワタスの苦い経験が初心者の彼に、はたして役に立つかどうかわからなかったが、
楽しんで欲しいという思いを込めてアドバイスした。
(恒例すし屋の打ち上げではこのアドバイスが利いたと大変感謝された。相部屋さん堂々の5時間35分でした。)
相部屋さんと握手をして別れた。そして一人スタート地点に向かった。

スタート地点では、みのむしポンチョで寒さを防いでいたワタスは周りの人気者になっていた。
これいいね~。とか
とてもキュートだわ。とおばちゃん達に大受けだった。(昔からおばちゃんに好かれやすいらしい...(笑))
今回はこれのおかげで寒さ対策はバッチリであったのだ。全然寒くはない。
おまけにこんなに注目を浴びてしまうなんてうれしいやらはずかしいやら...。


そうこうしているうちに開会の式典が始まった。
まず2001年9月11日同時テロ事件で亡くなった人々に黙祷を捧げた。

そして、さあいよいよやってきた。

スタートの瞬間が...。


【1995年11月】
マラソンから一夜明けてワタスは世界貿易センター(ツインタワー)の展望室にいた。
とてつもなく高いビルにワタスは驚嘆した。展望室付近ではなんと雲より上にあったのだ。
あいにくガス状の雲がかかっていて遠くの眺めは望めなかったが、ガラス貼りで下を見下ろすような部屋の構造に高所恐怖症ぎみのワタスは部屋の中にいてもとても怖かった。

空は灰色で薄暗くワタスの今の心を映しているかのようであった。
どんよりとした絶望にも似た気分にワタスは言葉もなくただただ空を眺めていた..。

こんな自分に未来はあるのだろうか...。


【2001年11月】
ワタスは希望者だけを集めたマラソンコースの下見に参加していた。
バスはグランド・ゼロのまん前まで来た。
向こう側に残った壁の残骸が少しだけ見える。
6年前あそこの展望室にいったよなあ...。
その頃の記憶が少し蘇ってきた。

灰色の空、ガス状の雲に覆われたあのバベルの塔のような世界貿易センター。

あの日の夜にワタスの意識に入り込んだあの無数の悲しみは、9.11の犠牲者達の魂なのかもしれない。
ということは、6年前からこの事件は予定されていたのだろうか...。

そんなことを考えながら黙祷を捧げた。御魂よ安らかに。
君達の分までワタスは楽しむ..そう心に誓った。

バスはあのQueensboro Bridgeに差し掛かかる。
どこからか音楽が聞こえてきた。運転手が気を利かせてくれたのか..。
「ニューヨーク・ニューヨーク」は車内に広がり、和やかにワタスを迎えてくれたようだ。
この6年間いろいろあったな。
戻ってきたニューヨークの街をワタスは懐かしそうに眺めていた。

NEW YORK,NEW YORK- FRANK SINATRA
http://www.youtube.com/watch?v=aqlJl1LfDP4


長い文章ご精読ありがとうございました。
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本日は追記記事があります。
続きをクリック↓すると御覧になれます。

続き⇒┌|∵|┘

 黒い林檎 ~2001年、1995年 ニューヨークシティ・マラソンにて~ その3

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皆様、こんにちは。
実りの秋。ワタスの好物栗ご飯が食べられる季節なのですが、秋はワタス花粉症なのでうれしいのか辛いのかよくわかりません。
こないだも鼻をかみすぎて炎症をおこしてしまいますた。
おかげで瘡蓋をひっさげながら会社に行くと皆心配そうに病院へいけと言います。
大丈夫っすよん。いつものことですから..。
心配してくれる人がいてくれることに感謝しながら今栗ご飯を美味しく頂いておりやす。

さて、本日も前回に引き続きニューヨークシティ・マラソンのことをおおくりいたしやす。
本日はその3とその4をUPしますた。長いですから休みながらごゆっくりどうぞ。
そりでは。

~ ここより本編 ~


【2001年11月】
ワタスが2001年ニューヨークシティ・マラソンに出場しようと思ったのは、95年に残した苦い思い出を払拭したかったこともあるのだが、それだけではここには来れなかったような気がする。それは、課題を出題された生徒が長い年月を掛けて解く問題のようなものだろうか。


2001年より遡る3~4年前、当時ワタスにとっては激動の時代で前々から憧れていた部類の会社に移り変わっていた。
しかし、憧れていた会社の裏側は、なんともどろどろした世界であった。
仕事の押し付け合いは日常的で皆ハイエナのように簡単に実績が上がる仕事に群がった。
当然力のないものや新参者に難しい部類の仕事が回ってくる。
わが社の社員たるものは...というのがリーダークラスの口癖だった。
「わが社の社員たるもの困難を困難とせず.....etc」
よくいったものだ、自分達に困難がふりかかろうとすると末端にスルーで投げるくせに...。
皆エリート意識が強く、難しい論理を展開しては、苦境に陥るとわけもわからない横文字を並べた...そんな人達が多かった。
結局、声が大きいか物事の本質も捉えずにわけもわからん理論武装をしてカッコだけつけているような者だけが上にあがれるそんな世界であった。
アリンコをゾウに見せかける..そんな詐欺師のようなもののみが出世できる..なんとも狂った世界。
こんな世界に自分はいるのか..。(いや、これがその時自分が望んだ世界だとは当時のワタスには全くわからなかった)

そんな中で愚痴もこぼさず一人黙々と仕事をこなし、何においても沈着冷静、明晰な判断と抜群の行動力、誠実で心優しい男が一人いた。
ワタスよりも随分若いのであるが、うほっ!いい男っ!と誰もが惚れ込んでしまいそうになる。
(っていってもワタスはそっち系ではない)
スーパーマンをみたのは初めてであった。以降スーパーくんとでも言おうか。

95年にニューヨークで走ったことを話すとスーパーくんは大変興味を示してくれて自分も是非参加したいと話した。
スーパーくんはこの時、自分は近々会社を辞めてアメリカに留学する予定なのだと語った。
もし、ワタスが2001年にニューヨークシティ・マラソンに参加するなら会えるかどうかわからないけどスタート準備地点で待っているから自分を是非とも見つけ出してくれと言うのであった。

ワタスは了解した。ワタスは君を見つけ出す。君が参加していればの話だけどねと笑い合った。

あの時のことがふと頭に蘇った。
ワタスは来るかどうかもわからないスーパーくんとの再会を心の糧にしてようやくここまでやってきたのであった。

さて、そろそろハーフ地点(20キロ地点)が見えてきた。


【1995年11月】
かかとの激痛が少しだけ和らいできた。
しかし、足は上がらない。

それよりもただただまっすぐなこの道をはるか向こうの先まで走るのかと思うとなんともいえない絶望感がワタスを襲った。
こんな状態でホントにあそこまでいけるのだろうか..。

ああ、歩きたい...。
歩く誘惑に駆られながらしかし一回も歩かなかった。
歩くとそれがくせになり、終わりまで歩くようになってしまう。
遅くてもいいから走るんだと自分にムチを打った。

ワタスは思い出していた。
実はワタスが使ったツアーの二日目に希望者だけを集めてコースの下見をやってくれたのであった。
その時に仲良くなったご夫婦がいて、1年前にもこのマラソンに出場されたそうだ。
旦那さんはその時なんと今のワタスと全く同じ状態になりこの辺で棄権したそうである。
ああ、そうか、あれはワタスに注意しておけという合図だったのか..。

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ツアーに申し込みをした時、サッカニー(SAUCONY:結構有名どころです)のシューズがツアー会社から送られてきた。かかとのヒールスポンジが厚くとてもかっこ悪かったのでいつも履いているシューズを選んで持ってきたのであった。

あれもワタスへの注意だったのか。そんなシューズだとかかとをマジで痛めるぜと暗に教えてくれていたのだ。
時空は時折注意点やら必要な情報をちりばめて送ってくる。
しかし、ワタス自身がそれに気がつかないと結局、苦難にぶち当たってしまう。
95年当時はそれに気がつくようなそんな心の持ち方ではなかった。
まるで難行苦行に裸で飛び込んで行くようなものであった。
(苦行マニアかっ...たぶんワタスの前世は苦行僧か聖職やったのかも(おちんですノートじゃなくておちんノートを参考にすると..))


【2001年11月】
憧れて入った会社に絶望したワタスは1年後その会社を後にした。
ワタスは次のあてもなく当時再就職超氷河期真っ只中へ踏み込んでしまったのだ。
案の定なかなか再就職先がみつからない。これではスーパーくんとの約束なんか夢もまた夢だ。

と、ここでハタと思った。
自分は一体何を求めているのかと。

どういう会社や職場にいたいのだろうか。
どういう人達にこれから会いたいのだろうか。

今まではっきりと自分自身に要求を出したことがあっただろうか?

これはたとえば、
自分の彼女がワタスに今日何が食べたい?
って聞いてきて、ワタスがなんでもいいっていっているようなものかもしれない。
一生懸命作った料理にええ?これは食べたくないよっていうたら咄嗟に必殺パンチが飛んでくる..そんなボケツッコミの展開が今までだと思った。

自分への要求が曖昧だから潜在意識は自分の鏡に映る世界を優先してチョイスしてくるのだ。
課題が多い人はその傾向が強いのではないだろうか。
鏡に映る世界からチョイスされて登場してきた人間はその課題を解決するカギを実は握っているかもしれないのではあるが..。


いずれにしても

自分の要求を自分に伝えよう

そしてその前に自分の心にひっかかってきた人々の顔を思い出し、
批判抜きに自分の感情はもちろん相手の感情もそのまま認めてあげることにした。

自分の中に宿る黒い感情をワタスは認め出した。
出会ってきた人達の顔を思い浮かべ自分自身と重ね合わせた。

彼らはワタス自身の分身であり、ワタスが引き寄せていた意識の一部のようなものであることがなんとなくわかってきた。
反することなく認めてあげることで自分に対しての問題がはっきり浮かび上がってみえるようになってくる。

その頃はホオボノボノという言葉は知らなかった。今思えば同じような事をしていたのかもしれない。

それから潜在意識へ自分の要求を伝える方法として2つのことをやってみた。
一つは自分の内へ向かう儀式。
(これは一部下記の中に書かれております)

3次元猫のパラドックスは我々を何処に導くのか?-(念と現象化編)
http://matix.blog100.fc2.com/blog-entry-31.html

もう一つは自分の外へ向かう儀式。
これは方位学旅行。(そのうち記事にします)

そんなある日、一度に3社も内定が取れたのであった。
その中の一社に決めようとしていた矢先にもう一社面接を受けたい会社がなんとなく目に留まり、
その日に面接しなんとその日のうちに内定をもらったのであった。まさに運命というのはこのことだろうか。
何かに導かれたとしか思えない奇跡の展開。この時が初めてではないが運命が動くときの匂いは同じだと思う。

ここ(ニューヨーク)に来れたのは、そのような不思議な導きがあったからでもある。

さて10キロ地点はお祭り騒ぎだ。
沿道ではいろいろな応援が繰り広げられていた。
JAZZありロックあり、チアリーディングあり、ブラスバンドあり、皆が祭りを盛り上げていた。
どの応援者も笑顔がとても優しく映った。6年前はこんな笑顔をしていただろうか。
911の事件がニューヨーカー達をまとめているとしたら、なんだかとても複雑ではあるが..。


【1995年11月】
ようやくセントラルパークに入った。
しかし、ここからが長い。
かかと痛の左足は引きずったままだ。歩くのと同じくらいのスピードで走っている。顔は痛みで歪んでいる。

前のおじさんが大きな国旗を振りながら走っている。ギリシャだ。
こんな時、ミニ日の丸でも持ってくればよかったなあと思った。
日本人は主張が足りないと言われる所以が少しだけわかったような気がする。

コース最後の観客席があるクライマックスへと差し掛かった。

大歓声が上がる。
足を引きずったワタスはその迫力に圧倒されて痛みをしばらく忘れていた。



【2001年11月】
なんともスローな立ち上がりだ。
まあ、ゆっくりいこう。
タイムよりいかに楽しむかが今回のテーマだ。
とエイドステーションが見えてきた。

aidstation-1.gif

ここでエイドステーションのことを少し説明しておこう。
エイドステーションは5キロぐらいの間隔に設置されている。
その場所場所によって置いてあるものが違っているのだ。

主においてあるものをあげますと。
水、ゲーターレード(オレンジ味が主流)、ガス抜きのごく薄味のコーラ(コーラ味の水)、
場所によってはココア(人気集中すぐなくなる)。
細かく切ったオレンジ、バナナ、甘いだけのチョコバー(これは普通はまずいがマラソン中はなぜかうまく感じる)。
細かく切った固いベーグル。(ニューヨークのベーグルは日本で売られているような柔らかいベーグルではない)
水を含ませたスポンジ(これかなり臭い、それにボロボロのスポンジである。こうやどうふみたい。)
ワセリン(腿に塗る)
などなど。

最初、ガス抜きのコーラがいまいち解せなかったが、走っているとこれがまた美味に感じられるのだ。
それからはガス抜きのコーラをよく飲んだ。ゲーターレードよりも旨いかもしれない。

エイドステーションの兄ちゃんにガス抜きのコーラーを頼んで「これ美味しいね。」っていったら満面の笑みを浮かべていた。
一言二言挨拶を交わし、肩をたたかれ励まされてまたコースに戻った。
笑顔が嬉しい。
ワタスもうなずいて笑顔を返した。



【1995年11月】
長い長い道のりの果てにゴール地点が見えてきた。
涙が溢れて止まらない。
顔をくしゃくしゃになるのを堪えてゴールのゲートをくぐった。(時間は4時間12分でした。)

声を上げて人目をはばからず号泣した。途端にボランティアのお兄さんやお姉さんが駆けつける。
肩を抱いて"大丈夫、大丈夫だよ"って言ってくれた。なんかその時の言葉の暖かさに感動してまた泣いた。

一緒に歩いていくうちに少しづつ気持ちが落ち着いてきたのだが、
「ありがとう」の言葉しか頭に思いつかない。ワタスは裏返しになった声を振り絞って「ありがとう」を繰り返した。

ボランティアのお兄さんは昔からの友人のようにワタスの肩を叩きながら、
「来年もきっと来てね。待ってるよ」とワタスに黒い林檎を渡してさわやかに笑った。


To Be Continued
(その4に続きます)

ご精読ありがとうございました。
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 黒い林檎 ~2001年、1995年 ニューヨークシティ・マラソンにて~ その2

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皆様、こんにちは。
最近なぜか悪夢にうなされているマティックスです。www...。
(理由は、おちんさんブログ参照。 OH! Jesus!)

さて、前回に続きまして1995年、2001年でのニューヨークシティ・マラソンの事について書いていきたいと思います。

冬のニューヨークの風物詩といえば、マンホールから立ち上る白い煙でしょうか。
実はこのニューヨーク、北緯41度弱で、日本で言えば青森県の弘前~八戸付近に相当する場所らしい。
だからとっても寒い。(>_<)
さらにこの時期は、気候が不安定で嵐なんかが通過すると途端に前日との気温差が10度とか15度とかがあたりまえになるというなんとも厳しい場所でした。
95年の時はまさにこの不安定な気候の中、大会当日はたったの3度とまるで冷蔵庫の中を走っているような状況だったのです。

それでもレースが始まればいつものように坦々と走るのですが、大きな大会ということでワタスもアドレナリンが全開だったと思います。
2001年の時は、そんなこともなく全てが順調で気候も体調も全く普通でありました。ただ、スピードという面からいうと95年のときより全然遅かったと思います。
速く走ることよりもいかに楽しむかに重点を置いたのでした。(というか従来のようには走れなくなっていたようで..)
"走る"ということの考え方を180度転換したらそうなっていた...。
それはその後の運命においてもその考え方が大きく関わってきたような気がします。

それでは続きをどうぞ。
(※注意 その当時の気持ちになって書いているので、多少汚い表現があるかもしれません。ご了承ください。また本日は長い文章ですので休みを入れながら御覧くださいまし。)

~ ここから本編 ~


【2001年11月】
11月のニューヨークは日が短い。
マラソンのゴール地点では少し夕陽になりかけていた。
大歓声に迎えられ、ワタスはゆっくりとした足取りでゴールした。(タイムは4時間58分くらいでした。)
すかさず、ボランティアのお姉さんとお兄さんが抱きついてきた。
水やらメダルやらなにやら沢山のお土産を渡される。

そして名物寒さ避け銀紙をマントにしてランナー達は、自分の番号の荷物置き場まで歩く。(これがとても長い)
寒さがとても身に沁みて自分の荷物置き場に着く頃には銀紙マントの偉大さにとても感謝するのである。

さて、ランナー達の受難はここで終わりではない、ここから自分達のホテルまで走るか歩いて帰るのだ。
ワタスはゴールのセントラルパークに程近いホテルに宿をとっていたのでさほどではなかったが、
それでも歩いて帰るのは大変だった。
銀紙マントのランナー達が寒さで背中丸めて帰っていく光景を街のあちこちで見かけるのもこのマラソンの風物詩の一つだ。


【1995年11月】
10キロ地点(ブルックリン)までくるとかなり体が温まってきた。

調子が少し出てきたところでスピードを上げて走る。
どんどん人を追い抜く。
なんとも気持ちがいい。

ワタスは風を切り飛ぶように走った..。


95年当時、ワタスは勤めていた会社のやり方にだいぶ不満が溜まっていた。
自分は誰よりも勉強し、誰よりも仕事のことを考えて、そして誰よりも当時の会社のことを考えていると思っていた。
実際、朝最初に会社の鍵を開け、夜最後に鍵を閉めるのはワタスだった。
当時の会社経営の弱点をレポートし、事業チャネルを増やすことを提案した。
とっかかりに新潟の友人の会社に部長を連れて行き、そこを営業事例の拠点にした。
今まで親会社べったりの体質を少しではあるが変えさせたのだ。

人も随分教育した。どの部課長からも使い物にならんと言われていた人達を部下にして、
自分で仕事が回せるだけのスキルと自信を持たせ再生させた。
重役達は、ワタスのことを再生工場と呼んでいた。

教育制度も新たに作って軌道に乗せた。
昼もなく夜もなく休みもなくワタスは当時の会社のために働いていた。

しかし、それが一体何だというのだろうか。
いくら会社のためにとやったところで、経営を考える者達がボンクラならそれまでのことだ。
見返りを期待していたわけではないけれど、
愛情が深ければ期待も大きくなるのが人情ってものか。
しかし、これが会社からワタスへの返事ならば何のために自分は会社の為に頑張ってきたのだろうか。


(-- 当時の自分はそう考えておりました。
ワタスはその会社が大好きだったのです。
会社への愛情が深ければ深いほど裏切られたと思った時の憎しみは相当なものでした。--)


会社は、ワタスのことを人を再生させる工場としてしか見ていなかった。
ワタスが育てた人は、他の部課長の下へ送られ続けた。
なんか手塩にかけて育てた娘を見知らぬ男に取られるようなそんな心境だ。
(世の中のお父さんの気持ちが少しわかったような...)

人事に関しては、当時のワタスが口を挟むことは許されないのだが、
基本的に仕事を組織的に回すということは、部下に仕事のスキルやノウハウを引き渡し、
その部下が自分で判断ができるようになったときに、教えた側は別の部署と新しい仕事に就く。
これがローテーションの原則だと思っていたのだが、
他の部課長の下では人が育たないものだからワタスの下で育った人間を新しい仕事に就かせる。
リーダークラスでは若く下の部類だったワタスにはそれに対して何の発言も許されていない。

ワタスはそれでも良かった。会社の役に立つのであればと。
しかし、再生した部下達が新しい部課長の下で再び悩み辞めていく..。
育てれば辞め育てれば辞める。その繰り返しであった。

辞めるのはその者の勝手といえばそれまでの話なのであるが、辞めた原因を全く調査もしない。
辞める人達からの意見を聞き、それを職場環境へ生かすような努力をしない限り、同じような悲劇は繰り返される。

無情を感じていた。
何をやっているんだろう..自分は...。
元部下達が辞めるたびに何の力にもなれなかった自分を嫌悪していた。

心にはいつも北風が吹いていた。
そしてその現実がどうにも耐え切れなかった..。(まだ若かったのでしょう..。)

ワタスはこの時、当時の会社に愛想が尽きて、自分の意識はその会社を既に追い抜いていたのかもしれない。
(それから1年半後ワタスはこの会社を辞めることになります。)


【2001年11月】
35キロ地点通過。あとゴールまで7キロちょっとだ。
Marcus Garvey Memorial Parkに向かう大通りを止まらないようにとゆっくりと走る。

止まると怒られるのだ。一体誰に?

それは、おまわりさん。

ニューヨークのおまわりさん、とても面白い。

止まると拡声器で大声出して叱咤激励してくれる。
この日もやってました。
熱い声援が..。

「こら!止まるな!君ならまだまだいける..」とかなんとか。
ニューヨークのおまわりさん、熱いなあ。

I Love New York!


【1995年11月】
15キロ地点を過ぎた。
どんどんスピードは上がる。

「Ha!Ha!Ha!Ha!」
低いガードのトンネルをくぐるたびに皆で一斉に雄たけびを上げる。

もちろん、見ず知らずの者同士。
国籍なんか関係ない。肌の色?糞くらえ、ワタスらは皆ランナーだ!

この圧倒的な一体感は何だろう?
鳥肌がさっきから立ちっぱなしだ..。


ワタスがニューヨークへ来たとき、人生に少し疲れて破れかぶれに近い状態にあった。
ある意味捨て身の状態だったのかもしれない。
世界が明日終わろうが、この身がどうなろうとそんなのどうでもいい...人生を投げた玉砕覚悟のクレイジーな状態にあった。
だから、最初からどんどんスピードを上げていたのだ。
通常ならとっくにヘタばるのであるが、なんと不思議に全然疲れなかった。
いやむしろ調子の良さからこれが実力だなんて自惚れていたのだ。

しかし人生そんなに甘くはない。いやそのような心の人間には課題が山積している。

神様はイタズラ好きである。甘い思いを十分にさせておいて一瞬にして奈落の底に落とすのだ。
神様は実は悪魔なのかもしれな...。


【2001年11月】
大声援は延々と続いている。10キロ近くこの道を走っているがどこまでもまっすぐな道に少し疲れが出てきた。

隣にメキシコ人のおじさんが小さな国旗を持って走っていた。
その横にはフランス人のおじさんがいた。

なんかやらんと疲れるのでワタスはメキシコおじさんに思い切って声を掛けた。

ワタス「おお!メキシコっ!」(とってもワザとらしいっ)

メキシコおじさんは、ワタスの帽子にあった日の丸を見てうれしそうに「OH!Japan!」と言った。

ワタスはメキシコおじさんの左手をとって高々と揚げた。
そうしたらその隣のフランスのおじさんはメキシコおじさんの右手をとって高々と揚げはじめた。
三人はお互いの手を取り合って高々と揚げ、観衆はさらなる大歓声を三人に贈った。


本当は世界が平和になることなんて全くもって簡単にしかも一瞬でできることなのかもしれないのに...。



【1995年11月】
半分地点(約20キロ)のGreenpointという所まできた。
ここまでのタイムが1時間40分。凄い!自己新記録だ。
これなら4時間以内は楽勝だ。おお、3時間半も夢ではない。

コースが二手に別れ、そしてまた合流しする。
人の波がうねって合わさっているかのような光景が広がる。

なんか小便がしたいなあ...って隣のおじさんもそうなのであろうか。

レンガ倉庫の壁に皆で立ちション。終わったあと大笑い。
そしてまた急いでコースに戻る。

なんか皆兄弟のようだ。


【2001年11月】
クイーンズからマンハッタンにかかる長い長いQueensboro Bridge(25キロ地点)を渡り終えたら、
最も声援が凄い所にやってきた。
まるで銀座の大通りを優勝パレードしているかのようだ。

ここでは誰もがヒーローでありヒロインなのだ。

通りの両側にいくつものの人垣ができて大声援の中、手を振りながら気持ちよく走る。
中には観客とハイタッチしながら走る者もいる。
自分の国の国旗を振って走るものもいる。

前回ワタスはここで"かかと痛"になり、残りを足を引きずって歩くように走ったのだ。
観客の視線がワタスのことを非難の目でみていたようなそんなような感じを受けていた。
しかし、それはワタス自身の心が招いた鏡に映った自身の姿だったのかもしれない。
苦痛に歪んだ顔を見て観客は少し引いたのであろう。
ワタスはそれを自分への非難と受け取ったのだ。

あの苦い思い出から6年目の今、ようやくその呪縛から解放されたような気がした。

笑顔で微笑みかければ、笑顔が返ってくる。
楽しいと思えば、世の中楽しく変わっていく..。
とても単純だけど大切な法則をワタスはようやくここで実感していた。

観衆に手を振りながら、ワタスはありがとうと叫んでいた。


【1995年11月】
このニューヨークシティ・マラソンは、ニューヨーク州の全ての区を回るのでニューヨーク観光マラソンと呼ばれているらしい。
それぞれの区を通ると特色がよくわかる。

hh-1.gif

ブルックリン区ではユダヤ教ハシディム派の人達がいたるところにいた。
山高帽をかぶり、真夏でも黒装束(黒いコート、黒いズボン、黒い帽子)で、ひげを一切剃らず、
もみあげが縦ロールになっている一種独特な様相。
ハシディム派はもっとも厳格にユダヤ教の戒律を守って暮らしている人たちなのだそうな。
よくアーミッシュと同一視されがちだが、アーミッシュは、キリスト教の一派であり、
田舎に独自のコミュニティを作って集団で暮らしている。よく似ているので同じもんだと思っていたのはワタスだけではないでしょう。

そんな厳格な方達がいたかと思えば、クィーンズ区に入るとレゲエ音楽が所々で聞こえてくる。
なんともゆるゆるな感じがいい。
スパニッシュが多いのもこの区の特徴。いろんな人種が住んでいる。

イエローキャブのタクシーもこの辺から来ているのだろうか。
運転手はほとんどがスパニッシュだ。底抜けに明るいがちと怪しい。
イエローキャブの運転は荒い。が、目的地まで最短距離で行ってくれる。
運転中は始終携帯電話でなにやら話しながら運転している。
危険極まりないのであるが、速くしかも安い。さらに住所だけ教えればどこにでも連れてってくれる。

いい加減なのか正確なのかよくわからない。(笑)

今(2010年)思えば、自分は95年当時はどちらかといえばハシディム派のユダヤ人に近く、
2001年当時はスパニッシュのタクシー運ちゃんに近かったのかもしれない。(それってかなり怪しいということか...)



【2001年11月】
25km.gif

さあ、マンハッタン島へ渡るQueensboro Bridge(25キロ地点)に差し掛かった。
この橋、鉄橋なのである。しかもものすごく古いっ!
歩行者用の通路の下は鉄板なのだ。
その鉄板に薄いスポンジマットが敷かれたマラソン用のコースを走るかはたまた何も敷かれていない鉄板のコースを走るかはランナー次第。
当然、マラソン用のコースは混んでいる。
6年前は混雑を避け鉄板のコースを走ったがためにかかと痛となり、この後を足を引きずるように走ったのだ。
今回は同じ轍は二度踏むまい、スポンジマットの敷かれているコースを6年前を思い出しながらゆっくりと走った。

QbBrige-2.gif

長い長い、そうこの橋とてつもなく長いのだ。
95年の時はあまりにスピードを出しすぎて途中でヘタばった。
車道に近い鉄板の道は景色もくそもなく、ただただ車が通り過ぎるのが見えるだけだった。
今回は、外側の道を走り景色も楽しもうと思った。

おお、マンハッタン島へ向かうこの眺めは本当に素晴らしい。
遥か向こうには巨大ビル群が犇めき合っているのが見える。
マンハッタン島周辺の海はとても青く、晴天の空の下まさに絶景であった。
気持ち良い風を受けて軽快に走る。
長い橋も楽しんで走れば短く感じるものである。
ワタスは十分に鉄板橋を堪能した。

橋をわたり終えた頃、エイドステーションが見えた。
ここかぁ...。
心の中で指さした。
6年前はここでストップして左足のかかと痛を起こしたのだ。

今回は止まらない、いや止まってはならない。

6年前の自分を励ましながらワタスはその場所に別れを告げた。
「グッバイ、黒い自分」


【1995年11月】
QbBrige-1.gif

大きな橋(Queensboro Bridge 25キロ地点)が見えてきた。
なんかとてつもなく古くて大きな鉄の橋。
ワタスは好調をいいことに飛ばすに飛ばした。
この鉄の橋、下には薄いスポンジマットがところどころに敷かれている。
ランナーのほとんどはその上を走るのであるが、混んでいてこれではタイムが遅くなる。
そこでワタスは判断した。よし、これはスポンジマットの敷かれていないコースを素早く走り、この橋を駆け抜けたほうが良さそうだ。
この判断がその後の運命を決めることになるとは、その時のワタスには夢にも思わなかったであろう。
しかし、人生とはその連続。先の事などわからない。
まして当時のワタスには自分のことしか見えていなかったのだから。いや、自分のことさえ見えていなかったのかもしれない。

何も敷かれていない鉄板の上をボンボンと人を追い抜きながら走る。なんとも爽快だと思った。

しかし、それは燃え尽きる前の蝋燭の火に似ていた。
いくら飛ばしてもいくら飛ばしても橋は終わらない。なんと長い橋なのか。そうこうする内に徐々にペースが落ちてきた。

橋の終わりに差し掛かるとさすがに疲れたそして気持ちもなんだか暗く沈みかけていた。
ようやく橋を渡り終えたところにエイドステーションがあった。
ああ、エイドステーションに救われた。
給水し栄養を補給するため小さく切ったバナナを口に放り込む。甘いだけのチョコバーもかじった。
ウエストポーチに入れておいた携帯型ゼリーを一瞬にお腹に流し込む。う~マズイ。
ストレッチをして、さて走ろうとしたその瞬間!

左足のかかとに激痛が走った。。。

走れなくなっていた。

sokutei-1.gif


左足のかかとを地面につくと激痛が走る。

なぜ?なぜ?
こんなところで。
急ぎたい自分と激痛に身を震わせる自分。

一体どうしたというのだ!
あんなに調子が良かったのに。
ここでこんなことをしてはいられないのだ!

しかし、かかと痛はおさまらない。
何度もマッサージをしたがダメだった。(靴が合わないことによる足底腱膜炎だったようです)
どうにもならない。

ああ、なんてことだ。こんなことになるなんて..。


悔しくて悔しくて両目に涙が溢れてくる。
一瞬「棄権」という文字が頭にちらつく。
しかしそれだけは避けたかった。

大観衆がランナー達に大きな歓声を上げる。
ここはコースでも最も沿道の声援が多い場所なのだ。

ニューヨークシティ・マラソンで一番盛り上がる花道をワタスは負け犬のように左足を引きずりながら歩くようなスピードで走っていた。
沿道の声援がワタスにだけ痛い。
あれだけ飛ばしてきたのだから、この時間にここに来るランナーは皆ある程度実力ランナーの部類に入っている。
その中で脱落していく奴が一人いる。
沿道の観客はワタスには冷たい視線を送っていたのだ。

ああ、これも人生か。

かかとの激痛も辛いが、沿道の冷たい視線はもっと辛い。

ワタスはどんどん後続のランナー達に抜かれて、いつしかゆっくりと走るランナー達の流れに呑みこまれていった...。


test5 (Simon & Garfunkel, Bridge Over Troubled Water, Central Park 1981)
http://www.youtube.com/watch?v=b8idE7Ug-N4


To Be Continued

ご精読ありがとうございました。
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 黒い林檎 ~2001年、1995年 ニューヨークシティ・マラソンにて~ その1

BlackApple-1.gif


皆様、こんにちは。
風がだいぶ冷たくて季節が秋へと急速に移り変わっていきますね。
木々の緑がそろそろと秋支度をはじめています。
秋と言えば、かぼちゃさんですかねえ。
もうすぐハロウィンも近いですね。秋は秋で楽しみが一杯でっす。(^_^)/

さて、本日から数回に分けて2001年11月にニューヨークへ行ってきた時のことを書こうと思います。
それと1995年11月のニューヨークのことも。

ワタスは、1995年と2001年にニューヨークシティ・マラソンという米国のマラソン大会へ出場しました。
1995年はマラソン人気はあったもののマラソン自体は今ほどメジャーなものではなく、
ましてニューヨークまで行って走ろうなんていうバカものは約3万人の出場者のうち日本人がたったの300人程度ですから、わずか1%にすぎない時代でした。
15年前のワタスは、公私共にそれはそれは忙しく、ジリジリとにじり寄る自分の限界を肌で感じながら得たいの知れぬ圧迫感の中もがき苦しんでおりました。
それは会社や仕事そしてワタス自身の生きる道に疑問と恐怖を感じていたからだと思います。
それだけ"生きる"ということに真剣でそれゆえに心の余裕が全くなかったそんな時期でもありました。
一方、2001年のワタスは、一皮向けたというか妙な安定感が漂っておりました。
会社を変わり、新しい職場でそれはそれは愉快な同僚達と一緒になって本当に楽しく仕事や遊びをしていた..そんな充実していた時代でした。
そんな中、あの2001年9月11日を迎えます。
一度は開催も危ぶまれた2001年ニューヨークシティ・マラソン。
キャンセルする人が続出する中、ニューヨークで一体何が起きたのかこの目で確かめる意味も含めて出場することを決めたのでした。
そんな対象的な2つの年のニューヨーク。その時に体験したことを思い出しながら少し書いてみようと思います。

ということで、この話には、1995年の11月と2001年11月のニューヨークにいるワタスが交互に出てまいります。
文章中いったりきたりしますので、皆様どうか頭こんがらないように..ってワタスもこんがらがってきた..。
そりでは。
(乱文で読みずらい点が多々あると思いますが最後までどうぞお付き合いください。)

~ ここより本編 ~

【2001年11月】
ニューヨークシティ・マラソンをゴールしてもらった林檎は小さくて黒い。真っ黒ではあるがほんのり赤く黒い。
香りも昔小さいときに母の田舎で食べた本来の林檎そのものの香りだ。
どこかこの林檎が古代の人間が食べたもののように思えてきた。
アダムが食べたという林檎もこんな風に真っ黒な林檎だったのかもしれない。
95年の時にはどこかに消えてしまったから6年かかってありつけるなんて自分にとってはとても貴重なものなのだろうか。

そんなことを考えながら、その林檎をこの旅の最後に食べようと思う。

ガブッ!
一口食べた..。

とても甘い酸っぱい、しかし凛として清清しい味がした。
それまでのワタスの黒い部分を清めるようなそんな味であった..。



【1995年11月】
この年のニューヨークシティ・マラソンは、過去最悪の大会コンディション。
前日に国連本部からセントラルパークまで約8キロの道のりをそれぞれが仮装して走るイベントが行われたのであるが、そのときの気温が19度、そして大会当日は3度。体感気温マイナス3度。朝から小雪が舞っていた..。

ワタスは、初めて走るこの大会をなめていたのかもしれない。
寒さ対策、靴対策、全くしないでここに来た。

マンハッタン島の隣スタッテン島にスタート地点がある。
そこでスタートまでの間、アーサー・ボンブライザンパークの待機場所で選手達は過ごすことになるがスタートまであと3時間半もあるのだ。

朝、7時半に大会運営委員会が準備するバスでここまで連れてこられ、
ワタスは他のランナー達と一緒にゴミ袋のような黒いビニール袋を頭からかぶって寒さに震えていた。
冷たい風は猛烈に吹くし、これでは走る前には体力が無くなってしまうかもしれない。
そんな恐怖とも戦いながらワタスは準備してこなかった自分の無知さを大いに悔いていた..。


ホノルルで簡単に完走してしまったからまったくいい気になっていたのかもしれない..。



【2001年11月】
マラソンから1夜明けて、昼間買い物を済ませた後、
夕方、ワタスは、ヴィレッジ・ヴァンガード(Village Vanguard)というジャズ好きならば一度は訪れてみたい有名なジャズクラブへ行くため、ウィエストビレッジ(West Village)という町へ降り立った。

ヴィレッジ・ヴァンガード
Village Vanguard
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%89


大きな地図で見る

Village Vanguard Web Site
http://villagevanguard.com/

しばらくぶらぶらと町を歩く。
そこは、映画「ウェストサイド物語」とよく似た世界。あったりまえだ、ここは正真正銘ウィストサイドだ。
とこんな一人ボケツッコミを入れながら、ふと見渡すと、
古いビルの2階がジムになっていて一生懸命ルームランナーで走っているサラリーマンの姿が窓ごしに見える。
その下がスーパーマーケットになっていて、ワタスが滞在しているホテルに近いスーパーなんかよりも生活感がにじみ出ていて、こちらのほうがワタスにはぐっとくる。

店の中はありとあらゆる生活物資で埋め尽くされていた。しかも皆ビックサイズだ。
消費大国アメリカの影の一面が顔を出す。これだけ消費しなければ生きられないように仕向けられた庶民の生活。
いや、いま(2010年)でこそ当たり前になってしまった我々の感覚もまた異常な消費意識なのかもしれない。

スーパーマーケットを出ると、一軒の不思議系のお店が目に留まった。

怪しげな蝋燭の灯りが妙にワタスを誘う。
中に入るとぷ~んと御香が漂ってきた。とても良い香りだ。

水晶の玉が風呂敷のような薄いシートの上に置かれていた。
これで占いでもするのだろうか。

「Hellow~」
奥から店主らしき若い女性が出てきた。
小柄でしかもおめめがぱっちり、
nonoモデルのようななんとも愛くるしくキュートな女性だ。
ワタスは店主さんの可愛さに気を引かれながら、悟られまいとして店内にある不思議系の土産物をなんとなく眺めていた。

店主さんが、ワタスに声をかけた。

店主:「今暇だからタダでちょっと占ってあげましょうか?」

ワタス:「え?ホントですか?」

店主:「もちろん。どうぞこちらへ」

なんと可愛い店主さんがサービスで占ってくれるのだそうだ。
ワタスは飛び上がって喜びたいのをぐっと抑えながら店主さんの前に静かに座った。
そして生年月日と名前を書き、目をつぶらされた。
店主さんはなにやら呪文を唱え、ふっと水晶に息を吹きかけた。

怪しげな灯りがワタスを不思議ワールドへと導く。
若く可愛い占い師の声は、とても心地いい音色を奏でているようであった。

占いは霊感占い。いろいろ言われたのであるが、残念なことに細かいことだったのであんまり覚えていない。
というか店主さんの可愛さに気をとられていて頭に入らなかったのかもしれない。

覚えているのが、数年の内にワタスが怪物をみるというのだ。
夢なのか現実なのかわからないがということらしい。
怪物に遭遇したとしてもあなたは守られているから心配しないでと笑った。

(それから4年後、あの悪魔と対峙することになるのであるが..。)

「恐怖をも包み込む力」参照
http://matix.blog100.fc2.com/blog-entry-15.html#more

占いのお礼に、そこの土産物をいくつか買って、ヴィレッジ・ヴァンガードへと走った。
最初から土産物を買わせる演出だったのかもと思ったが、ああいう演出なら大歓迎だ。
店主さんとても綺麗で可愛かったし..。



【1995年11月】
午前11時のスタートまであと3分。
先ほどまで小雪が降っていたのが嘘みたいに太陽が差込んできた。
太陽が顔を出すと一斉に大歓声が上がる。
世界のマラソンバカさん達とこんなことで一緒に喜び合えるなんて自分はなんと幸せなのだろう。
いや素朴な事こそ、世界共通の言語なのかもしれない。

ドゥ~ン!午前11時、スタートの号砲が鳴った。

約3万人がヴェラザノ・ナローズ・ブリッジを一斉に駆け抜ける。それはそれは壮観である。

ワタスは冷たくなった体をほぐすようにゆっくりと走り橋を渡った。
橋を渡り終えるとランナー達は皆自分が着ていた上着を脱ぎ、電信柱にくくりつけ始めた。
これは、ランナー達が通りすぎた後、ホームレスさん達の収入元になるそうだ。
だからよくみると一様にボロボロの上着を皆着ていたのだ。
ワタスも着ていたボロボロのトレーナーを電柱にくくりつけ急いでコースに戻った。

さあ、ニューヨークシティ・マラソン42.195キロの旅が始まった。

New York City Marathon Inspiration video
http://www.youtube.com/watch?v=boauNvB9h6I



New York City Marathon Course Map
http://www.nycmarathon.org/documents/INGNYCM10_Course_Map_For_Media-4.pdf


To Be Continued

ご精読ありがとうございました。
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