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 切ない吸血鬼の話(「ぼくのエリ 200歳の少女」より)

皆様こんにちは。

最近、玉蔵さんは「清々しい感覚のもっとすごい感覚を感じる」とブログで言っております。
しかし、ワタスが感じるのには、切ない感覚のもっとすごい感覚を感じるのですが、う~ん、どうなっているのでしょうか。
何かこうお祭りの後のちょっと寂しい感じみたいな。。。そんな空虚感が漂う今日この頃なのですが、
バカ話だけはいつものように。。。でも切ないかなあ。(笑)

会社同僚のTさんとポールシフトの話をしていたらなぜかゴキブリくんの話になってしまって、
そうしたらTさんがゴキブリホイホイの昔のCM知ってまっか?と聞いてきたので、
知らないと答えるとこれでも見なはれと送ってきた。

こりです。

アース製薬 ごきぶりホイホイ
http://www.youtube.com/watch?v=whZWdt1jt6I


う~切ない。。
(逃がしてあげて?いや逃がせませんよ。)


さて、本日はこないだ見た切ない映画の話をしようと思いまつ。
映画の題名は「ぼくのエリ 200歳の少女」です。

bokunoeri-1.gif

ストーリー(goo映画&公式サイトより)-------------------------------------------
ストックホルム郊外で母親と2人で暮らす12歳の少年オスカー(カーレ・ヘーデブラント)は、
毎日学校で同級生からの苛めに遭っていた。大人たちはその事実に気付かず、助けてくれる友達もない。
いつも隠し持っているナイフで自宅の木を切りつけることで、辛い思いを1人紛らわせていた。

そんなオスカーの前にある日、黒髪の少女が現れる。
いつの間にか雪の積もった中庭のジャングルジムの上に立っていた彼女はオスカーの家の隣に引っ越してきた子だった。

「悪いけど、君の友達にはなれないわ」

「どういう意味?」

「君が友達にになりたそうな顔をしてたから」

息も凍りつくような寒さの中、
薄手のシャツ一枚で現れた少女は、オスカーの寂しい胸の内を見透かしたような言葉を残す。

その頃、町では凄惨な殺人事件が起きていた。何者かが喉を切り裂き、
血を抜き取られて逆さ吊りにされた若者の死体が森で発見されたのだ。

再びオスカーの前に現れる少女。その表情はどことなく悲しげで、鼻を突く異臭を漂わせていた。
エリ(リーナ・レアンデション)と名乗ったその少女は自分の誕生日を知らず、
年齢も“だいたい12歳”とはっきりしない答え。不思議で秘密めいたエリだったが、
オスカーは彼女と接しているうちに、胸の高鳴りを覚えていく。

やがて、2人の間で夜毎、モールス信号による寝室の壁越しの会話をするようになった。
オスカーがいつものように3人組にいじめられ、ムチで顔を傷つけられた日には、
「そいつらにやり返して思い知らせてやるのよ」とエリはオスカーに忠告した。

エリは何もかもが不思議で、秘密だらけの女の子だった。ある深夜には2階にあるオスカーの部屋に窓から入ってきて、
ベッドの中にもぐりこんできた。何も着ていないエリの体は、氷のように冷たかった。

「エリ、ぼくと付き合ってくれる?」

「無理だわ、女の子じゃないもの」

オスカーにはその言葉の意味がわからなかった。朝目覚めるとエリの姿はなく、奇妙な置き書きが残されていた。

『ここを去って生き延びるか。とどまって死を迎えるか。あなたのエリより』。

エリとの出会いを通じて、強くなりたいと願うようになったオスカーは苛めっ子に逆襲、大怪我を負わせる。
興奮したオスカーはそれをエリに伝え、“血の契りを結ぼう”と親指をナイフで切る。床に滴り落ちる真っ赤な血。
それを目にしたエリは、獣のように四つん這いになって床に落ちた血を啜る……。そして部屋を飛び出す。

エリは200年もの間、各地を転々として生き血を啜ってきたヴァンパイアだったのだ。
茫然と立ち尽くすオスカー。

「君はヴァンパイアなの?」
初めてエリの家の玄関をノックしたオスカーは、意を決してそう尋ねた。エリは否定しなかった。

「本当は幾つなの?」

「12歳。もう、ずっと昔から」

正体を知られ、町にいられなくなるエリ。別れの言葉もなく彼女が去ったことで、
オスカーは再び以前のような孤独な日々を送ることになる。このまま町にとどまって死んだような日々を過ごすか、
生きるためにエリを受け入れるのか……。やがて、失意のオスカーを人生最大の危機が襲う……。

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映画『ぼくのエリ 200歳の少女』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=iifcR6wf0Z4



北欧の凍てつくような寒さ、そして静かで美しい情景の中、この物語は展開していきます。
吸血鬼のエリには実は世話をしてくれていた人間のおじさんがいて、エリのために人を殺し、血を採取していたのですが、ヘマをやって捕まってしまいます。捕まる前、面が割れないように彼は顔に塩酸を降りかけ顔をわからないようにしてしまいます。
最後には彼はエリに自分の血を飲ませて病院の窓から下へダイブし命を絶つのです。
エリに対する無償の愛。この物語の裏のテーマでもあります。

オスカーは、僅か12歳の若さでそのおじさんと同じ運命をこの時自分で選択したことになるのかもしれません。
それを象徴するシーンがありました。

bokunoeri-2.gif

エリがオスカーの家を訪ねるとオスカーが扉を開けてやりますが、入れとはいいません。
エリは「入っていいよ」というオスカーの意思を待っていたのです。
オスカーは、壁も何もないから君の自由にしたらどう?と少し意地悪くエリに言います。
するとエリはブルブルと体を震えだし、血を全身から噴出しはじめ、自分を壊そうとするのです。
急いで「入っていいよ」と言いエリを抱きしめるオスカー。

その後、シャワーから戻ってきたエリにオスカーは質問します。



オスカー:「君は何者なの?」

エリ:「オスカーと同じ」

オスカー:「でも僕は人を殺さない」

エリ:「だけど(3人組を)殺したいと思っているでしょ」

   「相手を殺してでも生き残りたい。。」

オスカー:「。。。うん」

エリ:「それが生きるってこと」

エリ:「私を受け入れて。。。」

オスカー:目を閉じる。

エリ:オスカーの頭を抱き「少しでいい。。。私を理解して。。。」

私達人間の生きることの残酷さをある意味暗示しているかのようなセリフです。



エリを受け入れることは、オスカーが選択した意思。
しかし、この選択はあまりに過酷で破滅を伴う選択。
オスカーは死んでいったあのおじさんと同じ未来を選んでしまったことになるのかもしれない。

しかしこれが200歳の吸血鬼エリが企む巧妙な計算であったとしたら、それこそ恐ろしいことになりますが、彼女の言葉「相手を殺してでも生き残りたい。。。それが生きるってこと。」は彼女の生きる本能が言わせた正直な言葉なのでしょう。
ですが、それもまた、オスカーにはよく分っていてそれでもなおエリを愛したいという思いが最後の列車のシーンへと続くことになります。

歳をとらないエリは、そうやって200年という年月を男達に愛されて生きてきたのでしょう。
映画の最初に登場したエリの目は、とても悲しい目をしておりました。
この自分の運命にそしてそれでも生きたいと思う生への願望にとてつもない悲しさを覚えていたのかもしれません。

『ここを去って生き延びるか。とどまって死を迎えるか。あなたのエリより』

このセリフを死んでいったあのおじさんにも以前に言ったのかもしれません。
あのおじさんも昔、エリを生かす選択してしまったのでしょう。


最後のシーン、
列車の中でオスカーと旅行バックに入ったエリのモールス信号のやり取りがハッピイエンドのようでしかし二人の未来を思うと悲劇を思わせるラストにとても切なく胸が痛くなりました。(>_<)


切ないのはこの映画を観たから?。。。いや、もうすぐ春だから。。。


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 若い才能

皆様こんにちは。
寒くなったり暖かくなったりと少しづつ春に近づいておりますね。
本日はショートでいってみたいと思いまつ。

1~3月のこの時期は、美術・芸術系大学の卒業制作展が各所で開かれています。
ワタスはそれを観るのが毎年の楽しみの一つとなっております。

思ってもいないような発想がびっくり箱から飛び出してとても面白いのです。
今から見れる大学でお勧めなのは、

東京工芸大学芸術学部卒業・大学院修了制作展2011
http://www.t-kougei.ac.jp/arts/gra2011.html
2011年2月18日[金] 14:00~20:00
2011年2月19日[土] 10:00~20:00
2011年2月20日[日] 10:00~16:00
場所:六本木アカデミーヒルズ40
sidebnr06_o.gif



2010年度多摩美術大学美術学部卒業制作展・大学院修了制作展
http://www2.tamabi.ac.jp/cgi-bin/pro/gw/index.php?id=0
美術学部卒業制作展および大学院修士課程修了制作展
3月20日(日)~3月23日(水)
10:00~18:00 (最終日15:00まで)
場所:多摩美術大学八王子キャンパス
dm-thumb_0.jpg


まだまだありますが、以下のサイトを参考にしてもらうといいかもしれません。
『学・展』
http://www.clippinjam.com/school/

ワタスは映像でも音楽でもその作家がメジャーになる前の作品が好きです。
たとえば、映像ならおなじみのスティーブン・スピルバーグが学生時代に最初に作った「Amblin」やジョージ・ルーカスの「THX1138」といった作品などは昔、ぴあ社の主催したフィルムフェスティバルという映画祭でオールナイト上映にも関わらず、眠い目を目を凝らして観に行った記憶があります。

Amblin 1968 (スティーブン・スピルバーグ製作)
http://video.google.com/videoplay?docid=4378828308366060201#

Electronic Labyrint: THX 1138 4EB_George Lucas(ジョージ・ルーカス製作)
http://video.google.com/videoplay?docid=4378828308366060201#docid=-5325801707376229569

今の映画と比べると完成度はとても低いですが、その当時の映画の発想としては非常に新鮮だったようで、この作品が敏腕プロデューサーの目に留まり、後にそれぞれの映画製作のチャンスを掴んでいったのでした。

今、大学などで映画制作などをやっているサークルなんてあるのでしょうか。
なんかとても少なくなったような気がします。
撮影機材は昔に比べれば格段に良くなっていますし、編集ならパソコンさえあれば切ったり貼ったり簡単ですしね。

昔は部屋の中にロープを数本張って切ったフィルムをメモと一緒に洗濯バサミで挟んで吊るして、いろいろ思案しながら貼り合わせて一本のフィルムを作っておりました。まあなんとも非効率極まりない時代でした。
でもそれがすっごく面白くて1日朝から晩までぶっ通しで作業してても全然飽きなかったほどですからよほど好きだったのでしょうね(笑)。はい、ワタス学生時代(高校~大学)は趣味で自主映画製作をしていた時期がありますた。懐かしいというか恥ずかしいというか。(*^_^*)

でも物を作っている時の楽しさは、手段や方法が違っても昔も今も変わらないと思います。

卒業制作展などで出会う作品の一つ一つに観る側へ伝えたい作者の熱い思いに触れたいと思って毎年観に行くのです。今年もきっとワタスをびっくり仰天させてくれることでしょう(笑)。

若い才能に是非期待したいです。


さて、2007年の東京工芸大学芸術学部卒業制作で有名になった作品をご紹介しましょう。

アニメ制作、音楽作詞作曲、歌、全部一人でやり遂げた犬尾さん(ハンドルネーム)の「さかなのうた」という作品です。
ニコニコ動画に載せたことがきっかけで爆発的に有名になり、NHKのある番組でちょこっと紹介されました。
卒業後はアニメ関係ではない仕事へ就職したそうですが、個人での創作活動は細々と続けているそうです。

自主制作音楽アニメ-さかなのうた
http://youtu.be/u7-YmyMSEhI


犬尾さん独特の世界観が伝わってきます。この歌はワタスのお気に入り。iPodに入れて今でも聴いています。


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 気功師

皆様、こんにちは。
まだまだ寒い日が続きますね。
それでもそろそろ梅の花の芽が少しづつ動き出しそうな予感。
季節の微妙な動きを楽しみたい今日この頃です。

さて、本日はちと昔の話をしたいと思います。
一体何が飛び出すのでしょうか?
それでは、はじまりはじまり~。


2003年秋。ここは都内某所。
ワタスが親しくさせて頂いていた雑貨屋オーナーさんの紹介で、これからとある気功師さんの所に友人のZさんと一緒に行くところなのですが、
道案内がなかなか来ません。(^_^;)

「おっまたせしましたぁ~」

歳は25歳くらいの若い女の子。
歳相応には見えなくて20歳くらいに見えます。
身長は155センチくらいでごくごく普通の女の子なのですが、明るい笑顔の奥にどこか少し暗い影を隠し持っている気配があります。

雑貨屋オーナーさんは彼女のことをメルモと呼びます。
あの手塚治の漫画「ふしぎなメルモ」のようだからというのですが。。。

kikoushi-2.gif

それはどういうことかというと、普段はちょっと子供っぽくてとっても可愛いのですが、あるスイッチが入ると途端に大人びいた理屈をごねたがるからといいます。
その落差があの青いキャンディと赤いキャンディを食べた時のあのふしぎなメルモちゃんにそっくりとまあこれも雑貨屋オーナーさんの勝手な妄想とも混同しましてそのようなニックネームがつけられているようですた。

そのメルモさんは、数年前、雑貨屋オーナーさんのお店に頻繁にくるようになったといいます。
その姿は何かに憑かれているようで、でも目だけは何かを訴えかけているようでした。
まるで雑貨屋オーナーさんに助けを求めるように。。。

気がついた雑貨屋オーナーさんは、いち早く知り合いの気功師O先生の所に連れて行こうとするのですが、最初は嫌がって行こうとはしませんでした。暗い顔をした彼女はまさにある霊体が憑いていたようです。

それでも強引に何回かO先生の所へ連れて行き、除霊を施すと少しづつ明るさを取り戻していきました。
ワタスが彼女から話を聞いていると、驚くことに彼女は、ワタスが大学時代に夢中になっていたあの「ジョゼフ・マーフィー」の熱烈なというか狂信的な信者でありました。
「ジョゼフ・マーフィー」の話題になったその時、彼女は、青いキャンディを食べた大人メルモに変身するのです。

それは、心の奥に潜んでいたもう一つの顔がここは私の舞台なのと言わんとばかりに、「ジョゼフ・マーフィー」の理論を展開するときのその勝ち誇ったような顔は、微妙に狂った彼女の一面を除かせてワタスを二歩も三歩も後ずさりさせておったのでした。

今「ジョゼフ・マーフィー」の理論を否定するつもりは全くありません。
ここで問題なのは、ある理論なり考え方へ依存することの危険性なのです。
それは、宗教や思想、哲学など全ての面に内包している問題で、一定方向の考え方にばかりに接しているといつしかその考え方から抜け出せなくなってしまい、その考え方のみが全てであり、違う考え方に対しては攻撃的になるような。。そんな性質を人間であるならば誰もが持っているようです。

これは食べ物と同じでバランスよく自分を見つめていかないと心の癖が悪い方向に働いてしまいます。
すると悪い波動のスパイラルに陥り、暗い方へ暗い方へと自分を追い込んでしまう。
結果、鬱病や他人に対して攻撃的になったり、自分自身を傷つけてしまうようなことをするケースも出てきます。

メルモさんを見ていると以前にそういう事を経験してきたようなのですが、気功師のO先生や雑貨屋オーナーさん達のおかげで少しづつ元気を取り戻していったようなのです。
それでもまだ完全ではないらしく、放っておくとまた元のメルモさんに戻ってしまうかもしれない。
それで1ケ月に1~2回O先生のところに通っているのです。

この日もメルモさんがO先生のところへ行くことを雑貨屋オーナーさんが知っていて一緒に行くようにしてくれたのでした。




駅からタクシーで走ること数分、路地の多い住宅街の一画にO先生の治療院があります。
気功師O先生は、世界でも屈指の気功家といわれた故中川雅仁(本名:中川一)氏のお弟子さんの一人です。

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故中川雅仁氏について少々触れますと、この方は昭和33年札幌で時計屋さんをしていたそうです。
ある日、身障者の方がやってきて時計の修理の仕方を教えてくれないかと頼むと、心優しい中川氏は親身になってとことん修理技術を教えてあげたのでした。
その身障者の方は1年で一人前の技術者となったのですが、その評判を聞きつけ、我も我もと中川氏に時計修理技術を教えて欲しいと遠方からはるばるやってくるようになりました。とても一人では教えきれなくなってしまった中川氏は、身障者の為の時計修理学校を日本で最初に作ることになります。

しばらくして、時計はゼンマイ型から故障の少ないクオーツ型へと変わり、時代の変遷を感じとっていた中川氏は、このまま行き先仕事が少なくなるだけの技術を身障者の方達に教えるわけにはいかないと多額の借金を背負ったまま昭和51年に学校を閉じてしまいます。

同じ頃、東洋医学を学んでいた中川氏は「針治療器」という医療機器を販売するようになります。
この機械を改良したものが後に「ハイゲンキ」と呼ばれる氣を人工的に出す機器となるわけです。(読んでいる皆さんはめっちゃ怪しいと思っていることでしょう(笑)。。)

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ハイゲンキ」の構造を記したものがありましたのでここでご紹介いたしましょう。

関 英男著「高次元科学2」より転載
--転載はじめ ---------------------------

先端部に小さいピラミッドが行列に並べられ、その下で永久磁石が上下運動する構造で確実に気は集まり、周囲に放射されます。
ハイゲンキは、より効率的に氣を集めるために、小さいピラミッド数十個をセラミックの円盤上に並べ、その下に永久磁石を置いています。
セラミックには、中川氏の氣の波動が記憶させてあり、このセラミックによって発生させられる氣はすべて同じ波動のものになります。

--転載おわり ---------------------------

その「ハイゲンキ」をワタスも雑貨屋オーナーさんのところで使わせてもらったのですが、ツボに当てるととても気持ちが良く、しばらく当てていると気持ちが良すぎて眠り込んでしまいます。zzz....

ハイゲンキ」を使った治療は評判を呼び、クリニックの治療などで使われるようになります。
昭和63年12月23日。中川氏の夢の中に不思議な老人が現れ、「明日からは、手の平から外気を出して治療しなさい。」と語りかけました。
次の日、中川氏は、半信半疑ながらも手をあげて氣を送るしぐさを始めると本当に相談者の痛みは軽くなっていたのです。

それ以来、中川氏は氣について学んでゆき、大勢のお弟子さん達にその氣の使い方やしくみ、そして個々の意識や生活習慣のあり方などを教えるようになりました。
それが"真氣功"という名で呼ばれ、現在では、息子さんが跡を継ぎ、中川雅仁という名も継承しております。




気功師O先生は、先代の中川氏初期の頃のお弟子さんの一人。痩せ型で元気のいいおばさんです(笑)。

O先生の治療院は、表向き普通の整体院と何らかわりがありません。待合室で待たされること30分、いよいよワタスの番というか友人のZさんも一緒に治療室に入りました。
中は普通の診察台が二つ置いてあり(確か)、いっぺんに2人くらい氣の治療ができるらしい。

最初に氣の説明を受けます。この気功はO先生本人から出ているのではなく、自然の氣(宇宙の氣)であり、O先生はただの氣の通過役に過ぎないということと、氣が乱れて病気が発生しているのは、様々な原因によるものでここで一変に治せるものではなく、たとえ一時的によくなったとしても同じ生活を続けていればまた同じような病気になる可能性が高いのでこれを機会に健康についてもう一度考えてみましょうというものでした。

生活習慣(食生活と身体)、自分の考え方、そして心の癖この3つに偏りがあると氣のめぐりが悪くなり、病気になりやすくなるらしい。

そんな注意を聞かせれて診察台に横になり、O先生による氣の治療が始まりました。
O先生は横になっているワタスの体に合わせて両手をそれぞれ微妙に動かしワタスの周りの空気を振動させます。
なんとなくほんわかした空気が周りにあるようでちょっと暖かくて気持ちよくなっていきます。

「あなた下半身の氣が少し淀んでいるわね。何か悪いところあるでしょ?」

凄いっ!ワタスは尿管が細くて冬になるとよく炎症を起こすことがあるのです。
一発でわかるなんてこれは本物かも。

しばらく両手を動かし氣を整えてるようにしたO先生は、今度は手のヒラをワタスの心臓に当てました。
するとボッ!と心臓に火が入ったように熱くなったのです。
こ、これは?

「熱くなったでしょ。これが本来のあなたの氣。随分冷めてたんじゃない(笑)。」

恐れ入りますた。体がぽっかぽかになり、尿管もすこぶるいい感じです。
いや~びっくりしますた。こんなこと本当にあるんですねえと驚きを隠せませんでした。


「でも、これは一時的なものよ。本当に大切なのはあなたの日頃の考え方。片寄った考え方、心の持ちようはそれと同じ波動を持つ意識体を引き寄せるの。メルモちゃんはその典型的な例かもね。病はそれを身体や心に表す印しなのよ。だから病の持つ意味もちゃんと考えなくてはね。心や考え方のコントロールは簡単なようで実はとても難しい。ものごとには完璧なものなど最初からないのよ。なんでも良い面と悪い面とを持っている。

良い面ばかりにとらわれすぎてもいけないし、逆に悪い面ばかりに目を向けるとそれこそ大変なことになってしまう。バランスが大切なのね。君もまだまだ修行が必要かな。期待してるぞ~。またいらっしゃいね。」

と最後に愛のデコピンをプレゼントされて、イタタタタと笑顔で帰ってきたのですた。




後日、雑貨屋オーナーさんの所へ報告とお礼を言いに行くと、飼い猫のミュウ(仮称)がワタスの膝に乗ってきますた。

「ミュウが自ら膝に乗るのはとても珍しくて私の他にはあなただけんだけど。。」

実はこの猫、ただものではないのです。
何気なく膝に乗って大人しくしているのですが、この猫が膝に乗っているととても心臓が温かくなるのです。
まるでO先生の気功のように。
そして十分にワタスの心臓が暖かくなるとひょいとどこかへ消えてしまう。摩訶不思議な猫ミュウ。

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もう随分とおばあちゃんな猫なのですが、威厳高きその姿は他の猫とはちょっと違う風格を漂わせています。もしかして100万回生きたねこなのかもしれません。
ひょっとして君はO先生の弟子だったのなのかなあ(笑)と撫でながら話しかけるとニャ~ンと鳴きながらもうどこかへ行ってしまいます。
雑貨屋オーナーさんによれば、O先生が雑貨屋オーナーさんの家に来ると決まってこのミュウがやってきてO先生から気功を受けていたそうです。

やはりO先生の弟子だったのかとこの気功師猫のミュウに今度はメルモちゃんを治してあげてねと話しかけると、お安い御用よと言わんばかりにニャ~ンと鳴いて応えてくれたのですた。


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 渦巻き ~自然からのコトノハⅡ~

皆様、こんにちは。
病み上がりのマティックスです。

体調に気をつけてとか言っておきながら自分の体調を壊してしまいますた。
ワタスはこの時期に決まって扁桃腺が腫れて高熱を出してしまうのですた。
ワタスの持ち物は皆でかいので。。以下18金。。。ではな~い!
(まずいっ!これでは玉蔵さんの世界になってしまう~)

皆様から沢山のお見舞いの言葉頂戴しますた。
本当にありがとうございます。
おかげさまでようやく復活できました。
(最近復活に時間がかかるようになって自分の歳をしみじみ感じてしまったっす。)


さてさて、本日ですが、今回もまた渦巻きの話の続きをしてみようと思います。
思いつくままに書いておりますのでまとまりがつかなくなったらゴメンナサイ。
では、いってみましょう~。


前回は、自然現象にみる渦巻きを取り上げましたが、
小さい世界においての渦巻きはどういうものか。
ちょいとみてみましょう。

水晶は皆さんよくご存知だと思いますが、
水晶という石は、構造上「軸」のようなものがあり、その「軸」を、
真上もしくは真下から見ると光の具合が渦を巻いて見えるそうです。(本物であれば)

こちらを御覧ください。

uzumaki-6.gif

上記の画像は金沢大学 石渡研究室サイトより
水晶の撮影については特殊な撮影セットを用いて撮影したとのこと。

金沢大学 石渡研究室サイト「右水晶と左水晶の見分け方」より抜粋転載
http://earth.s.kanazawa-u.ac.jp/ishiwata/quartzds.htm#top
--転載はじめ--------------------------------
水晶には,外形(結晶面の現われ方)の違いによって右水晶と左水晶があります。
水晶には「旋光性」があり、結晶軸の方向に進む偏光の振動面が進行距離に比例して回転しますが、
観察者が自分に向かって進んで来る光を見た場合,右水晶では偏光面が右回り(時計回り)に、
左水晶では左回り(反時計回り)に回転します。回転角は進行距離1mmにつき約22度です。
--転載おわり--------------------------------

右回り、左回りよくわかります。勾玉が二つあるような、すなわち、陰陽太極図のようにも見えなくはありません。
古代より水晶の勾玉がよく使われたのは水晶の内にもう一つの勾玉を持っているためでしょうか。
古代人はそのことをよく知っていたのかもしれません。

スピリチュアル系の方々がよく言うのには、左巻き水晶は氣を集める働きがあり、右巻き水晶は氣を放出する働きがあることを言われます。
さらにいうと左巻き水晶は、地球エネルギーの螺旋であり、地球とつながり共鳴するそうです。
対するに右巻き水晶は、宇宙エネルギーの螺旋であり、エネルギーを高め宇宙とつながり宇宙と共鳴する。そして宇宙へ発信するらしい。
そのエネルギーを確かめられない今のワタスにはこれらのことがホントかどうかはわかりませんが。。。

水晶という石はこの他にも
電圧を加えると特定の周期で振動をする振動子(しんどうし)としての働きや
衝撃を与えると電気火花を発生させる圧電素子(あつでんそし)としての働きなど、
さまざまな働きを秘めているようです。

そういえば、あのベンジャミン・クレームの伝導瞑想会で見たテトラヒドロンという正三角錐
をしたエネルギー変圧器の中心には水晶石があったような記憶があります。

「とんでも瞑想会の土産物(後)」参照
http://matix.blog100.fc2.com/blog-entry-25.html

気の集中と発信という観点から言えば、あれが水晶の持つ特性を利用したものなのかもしれません。

さて、その右巻き水晶、左巻き水晶とよく関係づけられるのが氣とか波動とかオーラといわれるものです。
とりわけオーラは、比較的感じやすい人ならば、訓練すれば見ることは容易にできるらしいです。
つい最近、ワタスも何気にぼんやりしていた時に一瞬だけ見えたような記憶がありますが、訓練して見えるようになったらこの場でご報告致しましょう(笑)。

オーラの見方を解説したサイトのリンクを参考に載せておきます。

参考ブログ: おうさまのみみはうさぎのみみ「オーラの見方を教えます☆」
http://plaza.rakuten.co.jp/mikanagemasu/4000



ワタスが以前から注目していたヒーラーさんに木津龍馬さんという方がいらっしゃいます。
この方は、あのバレリーナの草刈民代さんをはじめとして格闘家やスポーツ選手のトレーナーとして有名なのですが、この方もオーラについての書籍をいくつか書いております。他のヒーラーさん達と一目置くところは、心・技・体のバランスをとっていることころです。

オーラというと"見る""見える"というテクニック(技)のみに意識がいってしまいがちになるのですが、木津さんはまず体をつくるところ、特に""をとても大切にしています。
玄米食と野菜を中心にした和食を基本に独自のレシピを考案されていてその通り食べているとオーラが見えやすくなるのだそうです。
以前小人さんの回でお話した手から電磁波を出すという知人のNさんが話していた内容とほぼ同じことが書かれておったのでこの二人の話は間違いはないだろうと思っています。

この木津さん、ヒーラーになるきっかけがなんとも不思議な事の連続であったようです。
木津さんの友人である服部真幸氏の著書「僕達の覚醒」にその時の様子が詳しく書かれております。

木津さんは、1993年12月に車で死傷事故を起こしてしまいます。
裁判の結果、違反が認められなかった木津さんは無罪となりますが、それでも人一人を死に至らしめた苦しみで自殺を考えるところまで追い詰めらてしまいます。
そんな時、当時の彼女や服部氏を中心とした仲間達の暖かい励ましに救われてなんとか生きてゆこうと決心し、亡くなった方の為に毎日神社参りをするようになります。
そこで、自然からの声やメッセージが降りてくるようになりました。

そのメッセージとは、円や幾何学的な形をした文字のようなものでした。
不思議通である服部氏にみせるとそれはあの「カタカムナ文字」であることがわかります。

カタカムナ文字

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それは、今から約60年程前、兵庫県六甲山系の金鳥山で植物波農法の調査に来ていた科学者楢崎皐月(ならさきこうげつ)氏が平十字(ひらとうじ)という猟師と出会い、彼が持っていた巻物に書かれてあった古代の文字のことを「カタカムナ文字」といいます。楢崎氏は書かれてある文字と高度な哲学的科学的な内容に驚嘆し、その後文献としてまとめることになります。

"カタカムナ"という名称は、その平十字という猟師が自分は「カタカムナ神社の宮司」であると名乗ったところからきておるのですが、その意味はとても哲学的で、"カタ"というのは我々の見ている宇宙が世界の全てではなくそれは片方であるの意味であり、"カム"は、象(カタチ)が無く目には見えない潜象世界の意味、そして"ナ"は、旦那のナと同様、代表する存在「主」の意味だそうです。

深野一幸著『超科学書「カタカムナ」の謎』より転載
--- 転載はじめ ----------------------------------------

『カタカムナ ヒビキ マノスヘシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ』

【意味】
「私たちが生活している場である現象世界の背後には目に見えないが無限のエネルギーが広がる潜象世界があり、その世界には「カタカムナ」というヌシが存在する。
一方、現象世界にはカムナから作られた「アマナ」と呼ばれるヌシが存在している。宇宙の万物万象は、カムナとアマナの共振重合反応によって発生する。
宇宙はすべて渦の回転粒子である「アマ始元量」と呼ぶ超微粒子で構成されており、万物万象はすべてアマ始元量が変化変遷したものである。」

--- 転載おわり -----------------------------------------

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"カタカムナ文献"は、この"カタカムナ文字"で記載され中心から時計回り(右回り)で渦巻き状に並べられ歌になっております。
全80首からなるその歌は、高度な科学的哲学を有する文明が存在したことを表しておりますが、
残念なことに、この高度な古代文明(縄文時代以前)の遺跡は現在もなお発見されてはおりません。


しかし、"カタカムナ文字"を一切知らない木津さんのところへその古代文字でメッセージを送ってきた自然の主は、木津さんにいくつかの古代の叡智を教え、人々を癒すように活動(これを"テフヒヒキ"といいます)を勧めます。
それは人の""を背負ってしまった木津さんにしかできない"再生"への方法だったのかもしれません。

そう、"癒すこと"こそ"再生"への道
心・技・体の調和をとり自然とともに生きること。人類再生への鍵はそこにあるかもしれない。

成長と崩壊を繰り返す人類へ"古えからの渦巻き"は、再生の方法を示してくれているように思えますが、我々の側が受け取る準備ができていなければ今まで通りのサイクルの中でくるくると輪廻の渦巻きを作ってゆき、逆に受け取る準備にあるのならば今までとは全く新しい渦をそこに創造できるのだとワタスは思っています。

最後に鶴岡真弓著書『装飾する魂』から渦巻きについて書かれている箇所を抜粋して終わりにしたいと思います。


鶴岡真弓著書『装飾する魂』より抜粋。
--転載はじめ-------------------------------------

 縄文土器の渦巻模様を、誕生-死-再生という生命の循環(サイクル)を認識した新石器時代の祈りの
シンボルとみなすことは誤りではないだろう。無限循環の形象。それはほとんど野生の自然にのなかに
晒されて暮らしていた人々のプリミティヴな直感から生まれたかたちと思える。

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 ちょうど縄文時代が後半期にあった頃、ユーラシア大陸の対極、大西洋西岸地域は巨石時代であった。
この深鉢のものによく似た渦巻文様が、巨大墳丘の入口の巨石に刻まれている。巨石ミニュメントの代表作、アイルランドの中東部にあるニューグレンジの古墳の"装置"は、渦巻に担わされた再生のシンボリズムを示唆している。

一年中で最も太陽の力が弱まる冬至の朝、墳墓の小窓から招き入れられた陽光が細い羨道を貫いて玄室正面の壁を射る。
玄室に置かれている大鉢には先祖の遺骨が積み上げられているはずだ。太陽が再び力を甦らすように、この日、死者は再生の準備をする。墳墓入口に東を向いて横たえられている巨石の渦巻文様が年毎の祖霊の甦りを象徴していたこと、また彼岸と此岸の境界にあって死者と生者の世界を繁留していたことを思われる。

急進する螺旋の一端は冥府に上向し、遠心する一端はこの世に下向する。その螺旋の軌跡は霊魂の旅する聖なる道である。

 死と生が往還する道筋を縄文人も土器にしるした。それは単に自然の植物が冬ののちに芽をふき返すという現象の観察ではなく、彼の内なる認識、生は死によって照らし出されているという認識から発動している。おそらく渦巻を表した者は、装飾を描写(バンチュール)したのではなく徴づけ(エクリチュール)したのだ。

--転載おわり-------------------------------------


地球に数多く出現した渦巻き現象も自然が何かの意図をもってエクリチュールしたものだとすれば、
我々はそこに隠されている重要なメッセージを受け取ることができるのではないだろうか。

超大型サイクロン「ヤシ」
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参考文献:

服部真幸著『僕達の覚醒』 

深野一幸著『超科学書「カタカムナ」の謎』

鶴岡真弓著『装飾する魂』

参考サイト:

金沢大学 石渡研究室サイト「右水晶と左水晶の見分け方」
http://earth.s.kanazawa-u.ac.jp/ishiwata/quartzds.htm#top

おうさまのみみはうさぎのみみ「オーラの見方を教えます☆」
http://plaza.rakuten.co.jp/mikanagemasu/4000

ミキたんまい工房「カタカムナとは?」
http://www.tanmai.co.jp/ktkmn/kt1_1.html

カタカムナ文明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%8A%E6%96%87%E6%98%8E


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