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 帰宅難民 ~心の手当 6年目だからわかることもあるかも~

**** 転載開始 ********************

帰宅困難者にJR東200駅開放 震災教訓、6万人分備蓄

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東日本大震災発生当日の夜、道路を歩いて帰宅する人たち=2011年3月11日、東京都世田谷区


大規模地震が発生した際の帰宅困難者対策として、JR東日本は18日までに、東京駅から30キロ圏内にある約200駅を一時滞在場所として乗客らに開放することを決め、ホームページで公開。計約6万人分の飲料水や非常食、毛布などを備蓄した。

東日本大震災が発生した2011年3月11日、JR東日本は「構内の安全が確認できない」などとして、渋谷や新宿など主要駅のシャッターを閉じたため乗客を追い出す格好となり、乗客は行き場を失い、長距離を歩いて帰宅したりした。首都圏では500万人超の帰宅困難者が出たとされ、この反省から対応を改めた。

2013/03/18 07:06 【共同通信】

**** 転載終了 *******************

311東日本大震災から6年が経ちます。
あの日ワタスは東京銀座で地震に遭い、交通機関が全て止まってしまったことからなんとか家まで歩いて帰ろうとしていたのでした。

寒空の中、大勢の帰宅困難者と一緒にただ無心に北へ向かって歩いていると会社で支給されたと思われるヘルメットや防災頭巾を几帳面に被った会社員の集団と一緒になったり、このどさくさに紛れて何故か干し柿を売ろうとする変なおっちゃんなどがいて普段では見られない珍しいものが観れてこんな時に不謹慎かもしれないけどある意味楽しかったりしたのでした。

しかし、上野の山を越えて鶯谷の駅まできたとき、ワタスは思わず胸が締め付けられそうになりました。
それは駅から締め出され、入口のシャッター前で待つ大勢の人々を目の当たりにした時でありました。

JR鶯谷駅では客を全員駅から出しシャッターを閉めていたのです。

風が冷たく皆辛そうな顔をしています。ぶるぶる震えているその光景をみてワタスは泣きそうになって、なんで入れてあげないんだ!人の道に反するじゃないか!とJRを糾弾したい気持ちになりました。

ワタスが怒りに思ったことのもう一つは、あの時、東京のお寺のほとんどが門を閉ざしていたことです。

宮城や福島の被災地ではお寺が避難所や教護所、そして亡くなった人を運んだ場所としてとても重要な役割をしていたのに対して、東京ではほとんどそんなことをしていたお寺はなかったということです。

某新興宗教の教団ですら、敷地の一部を休憩所として使ってくださいと大きく張り紙があるような配慮をしてくれたのに対して。。

お寺や坊さんに何かを求めるわけではないのですが、偉そうに説教している坊さんをみると所詮は緊急時には何の役にも立たないのか。。と思ってしまいます。

あの寒い夜、JR鶯谷駅の近くのお寺がちょっとした配慮をしていてくれていたなら、あの人たちはあそこで震えて夜を明かすことはなかったのだとその時は思ったのでした。

なんかやりきれない思いがしながら悶々と家路を急ぐワタスでありました。



あれから6年経ちます。

いまから思うにあの時、お寺やJRに腹を立てていたワタスは、実は何もできない自分自身に腹を立てていたのかもしれません。

お寺やJRは自分が映った鏡だったのかも。6年目にして当時の自分の心がわかるなんてちょいと遅いでしょうが、心の手当はいつおこなってもとても重要なことなのだとある人から教わりました。



311の自分の記憶。

もし痛い記憶がどこかに存在していたら、
どうぞやさしく手当をしてあげてください。

きっと新しい夜明けがやってくると思います。


Chouchou - another dawn
https://youtu.be/UfrMELcvi8k





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