黒い林檎 ~2001年、1995年 ニューヨークシティ・マラソンにて~ その1

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皆様、こんにちは。
風がだいぶ冷たくて季節が秋へと急速に移り変わっていきますね。
木々の緑がそろそろと秋支度をはじめています。
秋と言えば、かぼちゃさんですかねえ。
もうすぐハロウィンも近いですね。秋は秋で楽しみが一杯でっす。(^_^)/

さて、本日から数回に分けて2001年11月にニューヨークへ行ってきた時のことを書こうと思います。
それと1995年11月のニューヨークのことも。

ワタスは、1995年と2001年にニューヨークシティ・マラソンという米国のマラソン大会へ出場しました。
1995年はマラソン人気はあったもののマラソン自体は今ほどメジャーなものではなく、
ましてニューヨークまで行って走ろうなんていうバカものは約3万人の出場者のうち日本人がたったの300人程度ですから、わずか1%にすぎない時代でした。
15年前のワタスは、公私共にそれはそれは忙しく、ジリジリとにじり寄る自分の限界を肌で感じながら得たいの知れぬ圧迫感の中もがき苦しんでおりました。
それは会社や仕事そしてワタス自身の生きる道に疑問と恐怖を感じていたからだと思います。
それだけ"生きる"ということに真剣でそれゆえに心の余裕が全くなかったそんな時期でもありました。
一方、2001年のワタスは、一皮向けたというか妙な安定感が漂っておりました。
会社を変わり、新しい職場でそれはそれは愉快な同僚達と一緒になって本当に楽しく仕事や遊びをしていた..そんな充実していた時代でした。
そんな中、あの2001年9月11日を迎えます。
一度は開催も危ぶまれた2001年ニューヨークシティ・マラソン。
キャンセルする人が続出する中、ニューヨークで一体何が起きたのかこの目で確かめる意味も含めて出場することを決めたのでした。
そんな対象的な2つの年のニューヨーク。その時に体験したことを思い出しながら少し書いてみようと思います。

ということで、この話には、1995年の11月と2001年11月のニューヨークにいるワタスが交互に出てまいります。
文章中いったりきたりしますので、皆様どうか頭こんがらないように..ってワタスもこんがらがってきた..。
そりでは。
(乱文で読みずらい点が多々あると思いますが最後までどうぞお付き合いください。)

~ ここより本編 ~

【2001年11月】
ニューヨークシティ・マラソンをゴールしてもらった林檎は小さくて黒い。真っ黒ではあるがほんのり赤く黒い。
香りも昔小さいときに母の田舎で食べた本来の林檎そのものの香りだ。
どこかこの林檎が古代の人間が食べたもののように思えてきた。
アダムが食べたという林檎もこんな風に真っ黒な林檎だったのかもしれない。
95年の時にはどこかに消えてしまったから6年かかってありつけるなんて自分にとってはとても貴重なものなのだろうか。

そんなことを考えながら、その林檎をこの旅の最後に食べようと思う。

ガブッ!
一口食べた..。

とても甘い酸っぱい、しかし凛として清清しい味がした。
それまでのワタスの黒い部分を清めるようなそんな味であった..。



【1995年11月】
この年のニューヨークシティ・マラソンは、過去最悪の大会コンディション。
前日に国連本部からセントラルパークまで約8キロの道のりをそれぞれが仮装して走るイベントが行われたのであるが、そのときの気温が19度、そして大会当日は3度。体感気温マイナス3度。朝から小雪が舞っていた..。

ワタスは、初めて走るこの大会をなめていたのかもしれない。
寒さ対策、靴対策、全くしないでここに来た。

マンハッタン島の隣スタッテン島にスタート地点がある。
そこでスタートまでの間、アーサー・ボンブライザンパークの待機場所で選手達は過ごすことになるがスタートまであと3時間半もあるのだ。

朝、7時半に大会運営委員会が準備するバスでここまで連れてこられ、
ワタスは他のランナー達と一緒にゴミ袋のような黒いビニール袋を頭からかぶって寒さに震えていた。
冷たい風は猛烈に吹くし、これでは走る前には体力が無くなってしまうかもしれない。
そんな恐怖とも戦いながらワタスは準備してこなかった自分の無知さを大いに悔いていた..。


ホノルルで簡単に完走してしまったからまったくいい気になっていたのかもしれない..。



【2001年11月】
マラソンから1夜明けて、昼間買い物を済ませた後、
夕方、ワタスは、ヴィレッジ・ヴァンガード(Village Vanguard)というジャズ好きならば一度は訪れてみたい有名なジャズクラブへ行くため、ウィエストビレッジ(West Village)という町へ降り立った。

ヴィレッジ・ヴァンガード
Village Vanguard
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%89


大きな地図で見る

Village Vanguard Web Site
http://villagevanguard.com/

しばらくぶらぶらと町を歩く。
そこは、映画「ウェストサイド物語」とよく似た世界。あったりまえだ、ここは正真正銘ウィストサイドだ。
とこんな一人ボケツッコミを入れながら、ふと見渡すと、
古いビルの2階がジムになっていて一生懸命ルームランナーで走っているサラリーマンの姿が窓ごしに見える。
その下がスーパーマーケットになっていて、ワタスが滞在しているホテルに近いスーパーなんかよりも生活感がにじみ出ていて、こちらのほうがワタスにはぐっとくる。

店の中はありとあらゆる生活物資で埋め尽くされていた。しかも皆ビックサイズだ。
消費大国アメリカの影の一面が顔を出す。これだけ消費しなければ生きられないように仕向けられた庶民の生活。
いや、いま(2010年)でこそ当たり前になってしまった我々の感覚もまた異常な消費意識なのかもしれない。

スーパーマーケットを出ると、一軒の不思議系のお店が目に留まった。

怪しげな蝋燭の灯りが妙にワタスを誘う。
中に入るとぷ~んと御香が漂ってきた。とても良い香りだ。

水晶の玉が風呂敷のような薄いシートの上に置かれていた。
これで占いでもするのだろうか。

「Hellow~」
奥から店主らしき若い女性が出てきた。
小柄でしかもおめめがぱっちり、
nonoモデルのようななんとも愛くるしくキュートな女性だ。
ワタスは店主さんの可愛さに気を引かれながら、悟られまいとして店内にある不思議系の土産物をなんとなく眺めていた。

店主さんが、ワタスに声をかけた。

店主:「今暇だからタダでちょっと占ってあげましょうか?」

ワタス:「え?ホントですか?」

店主:「もちろん。どうぞこちらへ」

なんと可愛い店主さんがサービスで占ってくれるのだそうだ。
ワタスは飛び上がって喜びたいのをぐっと抑えながら店主さんの前に静かに座った。
そして生年月日と名前を書き、目をつぶらされた。
店主さんはなにやら呪文を唱え、ふっと水晶に息を吹きかけた。

怪しげな灯りがワタスを不思議ワールドへと導く。
若く可愛い占い師の声は、とても心地いい音色を奏でているようであった。

占いは霊感占い。いろいろ言われたのであるが、残念なことに細かいことだったのであんまり覚えていない。
というか店主さんの可愛さに気をとられていて頭に入らなかったのかもしれない。

覚えているのが、数年の内にワタスが怪物をみるというのだ。
夢なのか現実なのかわからないがということらしい。
怪物に遭遇したとしてもあなたは守られているから心配しないでと笑った。

(それから4年後、あの悪魔と対峙することになるのであるが..。)

「恐怖をも包み込む力」参照
http://matix.blog100.fc2.com/blog-entry-15.html#more

占いのお礼に、そこの土産物をいくつか買って、ヴィレッジ・ヴァンガードへと走った。
最初から土産物を買わせる演出だったのかもと思ったが、ああいう演出なら大歓迎だ。
店主さんとても綺麗で可愛かったし..。



【1995年11月】
午前11時のスタートまであと3分。
先ほどまで小雪が降っていたのが嘘みたいに太陽が差込んできた。
太陽が顔を出すと一斉に大歓声が上がる。
世界のマラソンバカさん達とこんなことで一緒に喜び合えるなんて自分はなんと幸せなのだろう。
いや素朴な事こそ、世界共通の言語なのかもしれない。

ドゥ~ン!午前11時、スタートの号砲が鳴った。

約3万人がヴェラザノ・ナローズ・ブリッジを一斉に駆け抜ける。それはそれは壮観である。

ワタスは冷たくなった体をほぐすようにゆっくりと走り橋を渡った。
橋を渡り終えるとランナー達は皆自分が着ていた上着を脱ぎ、電信柱にくくりつけ始めた。
これは、ランナー達が通りすぎた後、ホームレスさん達の収入元になるそうだ。
だからよくみると一様にボロボロの上着を皆着ていたのだ。
ワタスも着ていたボロボロのトレーナーを電柱にくくりつけ急いでコースに戻った。

さあ、ニューヨークシティ・マラソン42.195キロの旅が始まった。

New York City Marathon Inspiration video
http://www.youtube.com/watch?v=boauNvB9h6I



New York City Marathon Course Map
http://www.nycmarathon.org/documents/INGNYCM10_Course_Map_For_Media-4.pdf


To Be Continued

ご精読ありがとうございました。
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--【ここから追記記事】-----------------------------------------

おまけです。

ニューヨークのVillage Vanguardで活躍したJAZZピアニストの巨匠ビル・エバンスの動画をどうぞ。

Bill Evans - Waltz For Debby
http://www.youtube.com/watch?v=dH3GSrCmzC8&feature=related


---- ワルツ・フォー・デビイ -----------------------------------
ワルツ・フォー・デビイ(Waltz For Debby)とは、ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスが、1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで行ったライブを収録したアルバム。現行CDでは、ボーナス・トラックが4テイク追加されている。

タイトル曲「ワルツ・フォー・デビイ」は、元々エヴァンスが1956年に作り、初リーダーアルバム「ニュー・ジャズ・コンセプション」にソロ収録された曲で、当時まだ2歳で幼かったビルの姪デビイに捧げられたものであるが、広く知られたのはこのライブアルバムでの演奏による。エヴァンスのオリジナルとして特に広く知られ、軽快で愛らしい曲調のジャズ・スタンダードとして親しまれている。

ジョン・マクラフリン、トゥーツ・シールマンス、渡辺香津美など、多くのミュージシャンがカバー曲として取り上げた。日本での人気はエヴァンスのアルバム共々ことに高い。

歌曲としては、エヴァンスと親しかったジャズ評論家ジーン・リースが英語歌詞を作詞しており、これが正式な歌詞となっている。トニー・ベネットがビル本人との共演盤で歌い、サラ・ヴォーンも取り上げている。また、スウェーデンの歌手モニカ・ゼタールンドが、スウェーデンを訪れたビル本人をバックに従え、自作スウェーデン語歌詞の「モニカのワルツ」と改題して発表したバージョンは、異色の名盤として有名である。2008年には、日産・ティアナのCMソングとして土岐麻子が歌った。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%93%E3%82%A4
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『Waltz For Debby』、日本では土岐麻子さんが日本語で歌っております。

土岐麻子 - Waltz for Debby (LIVE)
http://youtu.be/xjsecXUdL9Y


ありがとうございました。



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はじめまして from マティックス

てぃー松さん、こちらこそはじめまして。
コメントありがとうございます。

続きは近日中にアップする予定です。
読んで頂き大感謝です。(^_^)

from てぃー松

初めましてコメントさせて頂きます。

興味をそそられるお話に続きを楽しみにしています。

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