黒い林檎 ~2001年、1995年 ニューヨークシティ・マラソンにて~ その2

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皆様、こんにちは。
最近なぜか悪夢にうなされているマティックスです。www...。
(理由は、おちんさんブログ参照。 OH! Jesus!)

さて、前回に続きまして1995年、2001年でのニューヨークシティ・マラソンの事について書いていきたいと思います。

冬のニューヨークの風物詩といえば、マンホールから立ち上る白い煙でしょうか。
実はこのニューヨーク、北緯41度弱で、日本で言えば青森県の弘前~八戸付近に相当する場所らしい。
だからとっても寒い。(>_<)
さらにこの時期は、気候が不安定で嵐なんかが通過すると途端に前日との気温差が10度とか15度とかがあたりまえになるというなんとも厳しい場所でした。
95年の時はまさにこの不安定な気候の中、大会当日はたったの3度とまるで冷蔵庫の中を走っているような状況だったのです。

それでもレースが始まればいつものように坦々と走るのですが、大きな大会ということでワタスもアドレナリンが全開だったと思います。
2001年の時は、そんなこともなく全てが順調で気候も体調も全く普通でありました。ただ、スピードという面からいうと95年のときより全然遅かったと思います。
速く走ることよりもいかに楽しむかに重点を置いたのでした。(というか従来のようには走れなくなっていたようで..)
"走る"ということの考え方を180度転換したらそうなっていた...。
それはその後の運命においてもその考え方が大きく関わってきたような気がします。

それでは続きをどうぞ。
(※注意 その当時の気持ちになって書いているので、多少汚い表現があるかもしれません。ご了承ください。また本日は長い文章ですので休みを入れながら御覧くださいまし。)

~ ここから本編 ~


【2001年11月】
11月のニューヨークは日が短い。
マラソンのゴール地点では少し夕陽になりかけていた。
大歓声に迎えられ、ワタスはゆっくりとした足取りでゴールした。(タイムは4時間58分くらいでした。)
すかさず、ボランティアのお姉さんとお兄さんが抱きついてきた。
水やらメダルやらなにやら沢山のお土産を渡される。

そして名物寒さ避け銀紙をマントにしてランナー達は、自分の番号の荷物置き場まで歩く。(これがとても長い)
寒さがとても身に沁みて自分の荷物置き場に着く頃には銀紙マントの偉大さにとても感謝するのである。

さて、ランナー達の受難はここで終わりではない、ここから自分達のホテルまで走るか歩いて帰るのだ。
ワタスはゴールのセントラルパークに程近いホテルに宿をとっていたのでさほどではなかったが、
それでも歩いて帰るのは大変だった。
銀紙マントのランナー達が寒さで背中丸めて帰っていく光景を街のあちこちで見かけるのもこのマラソンの風物詩の一つだ。


【1995年11月】
10キロ地点(ブルックリン)までくるとかなり体が温まってきた。

調子が少し出てきたところでスピードを上げて走る。
どんどん人を追い抜く。
なんとも気持ちがいい。

ワタスは風を切り飛ぶように走った..。


95年当時、ワタスは勤めていた会社のやり方にだいぶ不満が溜まっていた。
自分は誰よりも勉強し、誰よりも仕事のことを考えて、そして誰よりも当時の会社のことを考えていると思っていた。
実際、朝最初に会社の鍵を開け、夜最後に鍵を閉めるのはワタスだった。
当時の会社経営の弱点をレポートし、事業チャネルを増やすことを提案した。
とっかかりに新潟の友人の会社に部長を連れて行き、そこを営業事例の拠点にした。
今まで親会社べったりの体質を少しではあるが変えさせたのだ。

人も随分教育した。どの部課長からも使い物にならんと言われていた人達を部下にして、
自分で仕事が回せるだけのスキルと自信を持たせ再生させた。
重役達は、ワタスのことを再生工場と呼んでいた。

教育制度も新たに作って軌道に乗せた。
昼もなく夜もなく休みもなくワタスは当時の会社のために働いていた。

しかし、それが一体何だというのだろうか。
いくら会社のためにとやったところで、経営を考える者達がボンクラならそれまでのことだ。
見返りを期待していたわけではないけれど、
愛情が深ければ期待も大きくなるのが人情ってものか。
しかし、これが会社からワタスへの返事ならば何のために自分は会社の為に頑張ってきたのだろうか。


(-- 当時の自分はそう考えておりました。
ワタスはその会社が大好きだったのです。
会社への愛情が深ければ深いほど裏切られたと思った時の憎しみは相当なものでした。--)


会社は、ワタスのことを人を再生させる工場としてしか見ていなかった。
ワタスが育てた人は、他の部課長の下へ送られ続けた。
なんか手塩にかけて育てた娘を見知らぬ男に取られるようなそんな心境だ。
(世の中のお父さんの気持ちが少しわかったような...)

人事に関しては、当時のワタスが口を挟むことは許されないのだが、
基本的に仕事を組織的に回すということは、部下に仕事のスキルやノウハウを引き渡し、
その部下が自分で判断ができるようになったときに、教えた側は別の部署と新しい仕事に就く。
これがローテーションの原則だと思っていたのだが、
他の部課長の下では人が育たないものだからワタスの下で育った人間を新しい仕事に就かせる。
リーダークラスでは若く下の部類だったワタスにはそれに対して何の発言も許されていない。

ワタスはそれでも良かった。会社の役に立つのであればと。
しかし、再生した部下達が新しい部課長の下で再び悩み辞めていく..。
育てれば辞め育てれば辞める。その繰り返しであった。

辞めるのはその者の勝手といえばそれまでの話なのであるが、辞めた原因を全く調査もしない。
辞める人達からの意見を聞き、それを職場環境へ生かすような努力をしない限り、同じような悲劇は繰り返される。

無情を感じていた。
何をやっているんだろう..自分は...。
元部下達が辞めるたびに何の力にもなれなかった自分を嫌悪していた。

心にはいつも北風が吹いていた。
そしてその現実がどうにも耐え切れなかった..。(まだ若かったのでしょう..。)

ワタスはこの時、当時の会社に愛想が尽きて、自分の意識はその会社を既に追い抜いていたのかもしれない。
(それから1年半後ワタスはこの会社を辞めることになります。)


【2001年11月】
35キロ地点通過。あとゴールまで7キロちょっとだ。
Marcus Garvey Memorial Parkに向かう大通りを止まらないようにとゆっくりと走る。

止まると怒られるのだ。一体誰に?

それは、おまわりさん。

ニューヨークのおまわりさん、とても面白い。

止まると拡声器で大声出して叱咤激励してくれる。
この日もやってました。
熱い声援が..。

「こら!止まるな!君ならまだまだいける..」とかなんとか。
ニューヨークのおまわりさん、熱いなあ。

I Love New York!


【1995年11月】
15キロ地点を過ぎた。
どんどんスピードは上がる。

「Ha!Ha!Ha!Ha!」
低いガードのトンネルをくぐるたびに皆で一斉に雄たけびを上げる。

もちろん、見ず知らずの者同士。
国籍なんか関係ない。肌の色?糞くらえ、ワタスらは皆ランナーだ!

この圧倒的な一体感は何だろう?
鳥肌がさっきから立ちっぱなしだ..。


ワタスがニューヨークへ来たとき、人生に少し疲れて破れかぶれに近い状態にあった。
ある意味捨て身の状態だったのかもしれない。
世界が明日終わろうが、この身がどうなろうとそんなのどうでもいい...人生を投げた玉砕覚悟のクレイジーな状態にあった。
だから、最初からどんどんスピードを上げていたのだ。
通常ならとっくにヘタばるのであるが、なんと不思議に全然疲れなかった。
いやむしろ調子の良さからこれが実力だなんて自惚れていたのだ。

しかし人生そんなに甘くはない。いやそのような心の人間には課題が山積している。

神様はイタズラ好きである。甘い思いを十分にさせておいて一瞬にして奈落の底に落とすのだ。
神様は実は悪魔なのかもしれな...。


【2001年11月】
大声援は延々と続いている。10キロ近くこの道を走っているがどこまでもまっすぐな道に少し疲れが出てきた。

隣にメキシコ人のおじさんが小さな国旗を持って走っていた。
その横にはフランス人のおじさんがいた。

なんかやらんと疲れるのでワタスはメキシコおじさんに思い切って声を掛けた。

ワタス「おお!メキシコっ!」(とってもワザとらしいっ)

メキシコおじさんは、ワタスの帽子にあった日の丸を見てうれしそうに「OH!Japan!」と言った。

ワタスはメキシコおじさんの左手をとって高々と揚げた。
そうしたらその隣のフランスのおじさんはメキシコおじさんの右手をとって高々と揚げはじめた。
三人はお互いの手を取り合って高々と揚げ、観衆はさらなる大歓声を三人に贈った。


本当は世界が平和になることなんて全くもって簡単にしかも一瞬でできることなのかもしれないのに...。



【1995年11月】
半分地点(約20キロ)のGreenpointという所まできた。
ここまでのタイムが1時間40分。凄い!自己新記録だ。
これなら4時間以内は楽勝だ。おお、3時間半も夢ではない。

コースが二手に別れ、そしてまた合流しする。
人の波がうねって合わさっているかのような光景が広がる。

なんか小便がしたいなあ...って隣のおじさんもそうなのであろうか。

レンガ倉庫の壁に皆で立ちション。終わったあと大笑い。
そしてまた急いでコースに戻る。

なんか皆兄弟のようだ。


【2001年11月】
クイーンズからマンハッタンにかかる長い長いQueensboro Bridge(25キロ地点)を渡り終えたら、
最も声援が凄い所にやってきた。
まるで銀座の大通りを優勝パレードしているかのようだ。

ここでは誰もがヒーローでありヒロインなのだ。

通りの両側にいくつものの人垣ができて大声援の中、手を振りながら気持ちよく走る。
中には観客とハイタッチしながら走る者もいる。
自分の国の国旗を振って走るものもいる。

前回ワタスはここで"かかと痛"になり、残りを足を引きずって歩くように走ったのだ。
観客の視線がワタスのことを非難の目でみていたようなそんなような感じを受けていた。
しかし、それはワタス自身の心が招いた鏡に映った自身の姿だったのかもしれない。
苦痛に歪んだ顔を見て観客は少し引いたのであろう。
ワタスはそれを自分への非難と受け取ったのだ。

あの苦い思い出から6年目の今、ようやくその呪縛から解放されたような気がした。

笑顔で微笑みかければ、笑顔が返ってくる。
楽しいと思えば、世の中楽しく変わっていく..。
とても単純だけど大切な法則をワタスはようやくここで実感していた。

観衆に手を振りながら、ワタスはありがとうと叫んでいた。


【1995年11月】
このニューヨークシティ・マラソンは、ニューヨーク州の全ての区を回るのでニューヨーク観光マラソンと呼ばれているらしい。
それぞれの区を通ると特色がよくわかる。

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ブルックリン区ではユダヤ教ハシディム派の人達がいたるところにいた。
山高帽をかぶり、真夏でも黒装束(黒いコート、黒いズボン、黒い帽子)で、ひげを一切剃らず、
もみあげが縦ロールになっている一種独特な様相。
ハシディム派はもっとも厳格にユダヤ教の戒律を守って暮らしている人たちなのだそうな。
よくアーミッシュと同一視されがちだが、アーミッシュは、キリスト教の一派であり、
田舎に独自のコミュニティを作って集団で暮らしている。よく似ているので同じもんだと思っていたのはワタスだけではないでしょう。

そんな厳格な方達がいたかと思えば、クィーンズ区に入るとレゲエ音楽が所々で聞こえてくる。
なんともゆるゆるな感じがいい。
スパニッシュが多いのもこの区の特徴。いろんな人種が住んでいる。

イエローキャブのタクシーもこの辺から来ているのだろうか。
運転手はほとんどがスパニッシュだ。底抜けに明るいがちと怪しい。
イエローキャブの運転は荒い。が、目的地まで最短距離で行ってくれる。
運転中は始終携帯電話でなにやら話しながら運転している。
危険極まりないのであるが、速くしかも安い。さらに住所だけ教えればどこにでも連れてってくれる。

いい加減なのか正確なのかよくわからない。(笑)

今(2010年)思えば、自分は95年当時はどちらかといえばハシディム派のユダヤ人に近く、
2001年当時はスパニッシュのタクシー運ちゃんに近かったのかもしれない。(それってかなり怪しいということか...)



【2001年11月】
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さあ、マンハッタン島へ渡るQueensboro Bridge(25キロ地点)に差し掛かった。
この橋、鉄橋なのである。しかもものすごく古いっ!
歩行者用の通路の下は鉄板なのだ。
その鉄板に薄いスポンジマットが敷かれたマラソン用のコースを走るかはたまた何も敷かれていない鉄板のコースを走るかはランナー次第。
当然、マラソン用のコースは混んでいる。
6年前は混雑を避け鉄板のコースを走ったがためにかかと痛となり、この後を足を引きずるように走ったのだ。
今回は同じ轍は二度踏むまい、スポンジマットの敷かれているコースを6年前を思い出しながらゆっくりと走った。

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長い長い、そうこの橋とてつもなく長いのだ。
95年の時はあまりにスピードを出しすぎて途中でヘタばった。
車道に近い鉄板の道は景色もくそもなく、ただただ車が通り過ぎるのが見えるだけだった。
今回は、外側の道を走り景色も楽しもうと思った。

おお、マンハッタン島へ向かうこの眺めは本当に素晴らしい。
遥か向こうには巨大ビル群が犇めき合っているのが見える。
マンハッタン島周辺の海はとても青く、晴天の空の下まさに絶景であった。
気持ち良い風を受けて軽快に走る。
長い橋も楽しんで走れば短く感じるものである。
ワタスは十分に鉄板橋を堪能した。

橋をわたり終えた頃、エイドステーションが見えた。
ここかぁ...。
心の中で指さした。
6年前はここでストップして左足のかかと痛を起こしたのだ。

今回は止まらない、いや止まってはならない。

6年前の自分を励ましながらワタスはその場所に別れを告げた。
「グッバイ、黒い自分」


【1995年11月】
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大きな橋(Queensboro Bridge 25キロ地点)が見えてきた。
なんかとてつもなく古くて大きな鉄の橋。
ワタスは好調をいいことに飛ばすに飛ばした。
この鉄の橋、下には薄いスポンジマットがところどころに敷かれている。
ランナーのほとんどはその上を走るのであるが、混んでいてこれではタイムが遅くなる。
そこでワタスは判断した。よし、これはスポンジマットの敷かれていないコースを素早く走り、この橋を駆け抜けたほうが良さそうだ。
この判断がその後の運命を決めることになるとは、その時のワタスには夢にも思わなかったであろう。
しかし、人生とはその連続。先の事などわからない。
まして当時のワタスには自分のことしか見えていなかったのだから。いや、自分のことさえ見えていなかったのかもしれない。

何も敷かれていない鉄板の上をボンボンと人を追い抜きながら走る。なんとも爽快だと思った。

しかし、それは燃え尽きる前の蝋燭の火に似ていた。
いくら飛ばしてもいくら飛ばしても橋は終わらない。なんと長い橋なのか。そうこうする内に徐々にペースが落ちてきた。

橋の終わりに差し掛かるとさすがに疲れたそして気持ちもなんだか暗く沈みかけていた。
ようやく橋を渡り終えたところにエイドステーションがあった。
ああ、エイドステーションに救われた。
給水し栄養を補給するため小さく切ったバナナを口に放り込む。甘いだけのチョコバーもかじった。
ウエストポーチに入れておいた携帯型ゼリーを一瞬にお腹に流し込む。う~マズイ。
ストレッチをして、さて走ろうとしたその瞬間!

左足のかかとに激痛が走った。。。

走れなくなっていた。

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左足のかかとを地面につくと激痛が走る。

なぜ?なぜ?
こんなところで。
急ぎたい自分と激痛に身を震わせる自分。

一体どうしたというのだ!
あんなに調子が良かったのに。
ここでこんなことをしてはいられないのだ!

しかし、かかと痛はおさまらない。
何度もマッサージをしたがダメだった。(靴が合わないことによる足底腱膜炎だったようです)
どうにもならない。

ああ、なんてことだ。こんなことになるなんて..。


悔しくて悔しくて両目に涙が溢れてくる。
一瞬「棄権」という文字が頭にちらつく。
しかしそれだけは避けたかった。

大観衆がランナー達に大きな歓声を上げる。
ここはコースでも最も沿道の声援が多い場所なのだ。

ニューヨークシティ・マラソンで一番盛り上がる花道をワタスは負け犬のように左足を引きずりながら歩くようなスピードで走っていた。
沿道の声援がワタスにだけ痛い。
あれだけ飛ばしてきたのだから、この時間にここに来るランナーは皆ある程度実力ランナーの部類に入っている。
その中で脱落していく奴が一人いる。
沿道の観客はワタスには冷たい視線を送っていたのだ。

ああ、これも人生か。

かかとの激痛も辛いが、沿道の冷たい視線はもっと辛い。

ワタスはどんどん後続のランナー達に抜かれて、いつしかゆっくりと走るランナー達の流れに呑みこまれていった...。


test5 (Simon & Garfunkel, Bridge Over Troubled Water, Central Park 1981)
http://www.youtube.com/watch?v=b8idE7Ug-N4


To Be Continued

ご精読ありがとうございました。
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